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    【訂正とお詫び】
     本投稿記事内において、主旨について誤解を招きかねない部分がありました。
     よって、当該部分を削除させていただきます。
     関係者各所の皆様には心よりお詫びを申し上げます。
                                     加悦由季
    _____________________________________________________________________________________________________

     昔、五代目立川談志が、噺の枕でよく「大衆っていうのは馬鹿なんだから、マトモな奴が受かるわきゃないよ」とフッていたけれども、結局、徒党を組んだモン勝ちみたいな話だ。絵に描いた餅のような観念的なことしか言わなかったり、内容がほとんどアレオレ詐欺だったり、憲法9条しか眼中になかったりしていても、ゴソッと票をカッサラっていくのである。
     だいたい、現在の選挙制度は無所属候補にとってあまりにも不利な仕掛けになっている。どんなにすばらしいマニフェストも、選挙公報以外の情報が入手困難な区市町村単位のミクロ選挙では魅力にはなりにくい。せっかくネット選挙が解禁になっても、公平な判断材料になり得るような統合的なサイトが存在しなければ焼け石に水だ。
     つーかね、アタシらが子どもの頃には投票率が優に70%を超えていたのが、いつの間にか50%を切ったりなんかしている。コレね、要するに税金は納めているけど参政権を行使していない、ということは在日外国人、てゆーか、もうほとんど宇宙人に近いような気がするのである。日本はすでに宇宙人に占領されているといってもイイ話なんじゃないかと思う。
     そもそも、政治というものはどこかおかしい。だいたい、安倍内閣の支持率が46%、不支持率が32%とかユッているけれども、その併せて78%の人たちが全員選挙に行っていたら投票率がこんなに低いワケがない。支持・不支持を明確にしながら投票には行かない国民とはいったい何者なのだろうか。
     ブッちゃけた話、ほとんどの有権者は投票する候補者をテキトーに決めているんだと思う。政策や過去の活動をつぶさに比較検討することはなく、浪花節的に心情が傾く候補者を無意識のうちに選んでいる。でも、それじゃダメだ!!と言い出すと民主主義ではなくなってしまうおそれがある。何を基準に選ぶかを強制はできない。そもそも、政治というのは未来を希望観測的にドガチャガするものだから、このベクトルがいちばん正しいとは誰にも言えるものではない。
     大阪都構想はオシャカになったが、矢面に立ってまでも改革を断行しようとした橋下徹という人の心意気は評価するべきだと思う。都構想の是非は私にはわからないけれども、変えることから始めなければ人類は進歩もできないじゃないかという気持ちは私にも痛いほどわかる。失敗したってそれを教訓にやり直せばいいのだ。
     世の中に政治ほど民心の総意とかけ離れていると始末に負えないものはない。投票率の低下は、選挙カーでの名前の連呼に代表される、選挙運動の時代錯誤ぶりと大きく関わっている。変えることができなければさらに時代遅れになって民衆に見放されるばかりだ。もうすでに投票率が50%を切った時点で選挙は無効にしてもいいように思う。
     票につながると見るやホイホイと馳せ参じるが、票につながらないことには馬耳東風の議員の存在がよく云々されるけれども、選挙に落ちればタダの人なのだから盗人にも三分の理である。
     ドッチにしても、アンタが応援した2人は当選したんだからそれでいいんでないのぉと言われればそうなのだけれども、なまじ選挙運動に関わったばっかりに、冥利の悪い思いをしている今日この頃なのである。

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    東村山市に感じるイメージ
    ↑この画像はクリックすると拡大表示されます

     東村山ユーウツ円舞曲第2番は、今年3月に東村山市経営政策部都市マーケティング課が発表した、昨年実施された『東村山市認知度アンケート』並びに『東村山市転入転出アンケート調査』の報告書である。
     なかんずく注目すべきは前者の18ページに載っている『東村山市に感じるイメージ』だ。
     「都会的」が「-0.77」ポイントなのは自然環境の良さの裏返しだから仕方がないとして、「洗練されている」が「-0.66」ポイントなのにはアラタメテ驚いた。ひっくるめて言えば、東村山市は「致命的にダサくて」「滅びつつある」「死んだ魚の目のような」「時代錯誤の」「行く価値のある店もない」「ちっとも面白そうでない」「非人情な人間ばかりが住んでいる」まちなのである。
     ふーん、やっぱりそぉなのかぁなどと安心してはいられない。これはもう、もう1人の自分に啓示された宣戦布告と思うべきである。そうでないと東村山はマゾヒストの町になってしまう。
     ハッキリ言って、東村山がイマイチ発展できない最大の要因は、思考がタコツボ状態で自己完結しているせいだ。玉子の殻の内側にだけみんなで好きな絵を描いているようなもので、何もかもが井の中の蛙の宴会みたいになって終わってしまう。そこには、どう伝えれば外部の人たちに興味を持って捉えてもらえるかというプレゼンテーションの発想がない。
     さらに、最初に出たアイデアのインパクトに頼りすぎていることも発展を阻止している原因だろう。アイデアというのは素材に過ぎないから、うまく組み合わせて調理して提供しなければおいしく食べてももらえない。次はどうなる?次はどうなる?という、想像力によって期待感を高めてもらえるようなものでなければ、心にグサッと刺さらないからいつまで経ってもエナジーが集約されることがない。そこには何かキラッと光る魅力がなければならない。
     渡部尚東村山市長は、今回も「バージョンアップ!東村山」を提唱して市長選に臨んだ。ほぼ同年代ということもあって、私は渡部市長を応援しているし、その方向性も間違いのないものだと思っている。ただ、この人、邪心がないから敵を作らない代わりに、優等生すぎて強力な味方を作れていない気もするのが正直なところだ。
     それはともかく、これまで渡部市長は、独自のプランをさまざまに掲げてきた。市財政の健全化を着々と進めてきた実績には拍手を送りたいが、悲しいかな、スローガンとして掲げている「みんなで創るみんなの東村山」が実現したという実感は私たち市民にはまるでない。それは、理論的には共感できても、心情的に共感できる部分があまりにも少ないからだ。最初から市長という立場を意識しすぎているから、行政と民間のあいだの壁をブッ壊すだけのパワーがない。
     もちろん、東村山停滞の責任を渡部市長にすべて負わせるつもりは毛頭ない。そもそも、東村山は「笛吹けども踊らず」都市だ。居住地域への帰属意識を持たない人が増えているのは東村山に限ったことではないだろうけれども、15万人もの市民がいるのが信じられないほど、何をやっても感度が悪い。この総デジタル化の時代に、いまだに四球スーパーのラジオで聴いているほどに感度が悪い。
     1つにはそれは、情報発信のやり方がおざなりであることとも密接にかかわっている。東村山にはさまざまな組織・団体があって、公式サイトはもちろん、facebookやtwitter、ブログや広報紙で情報発信しているところも決して少なくはないのだが、通りいっぺんの情報を申し訳程度に公開しているだけだから、特に引っ越してきたばかりの宇宙人たちの目にはクソ面白くもないモノとして映っているに違いない。
     宇宙人たちにも注目してもらうためには、ありきたりの情報発信をやっているだけでは敬遠されるばかりだ。何しろ相手は宇宙人なのだから、ムラの手前味噌の論理を持ち出しても通じる相手ではない。彼らと共生したいのだったら、彼らの気持ちに直結する度肝を抜くような仕掛けを考えなければならない。そのことに私たちもそろそろ気付いてもいいのではないだろうか。
     東村山の真の活性化のためにはいったい何が必要なのか。
     たぶん、今夜もどこかの酒場では、東村山の将来について熱く語られているだろう。ただ、その場にいなければ内容については知るすべもない。どこかにそういう情報を集約して、バラバラの各論ではなくて体系的に総括するような場がないと、いつまで経っても現実化を伴わない不毛な夢が語られるばかりで、東村山を変えるシナジーは生まれないように思う。
     東村山市が、「洗練されている」はドダイ無理だとしても、「発展している」「まちに活気がある」「新しい取り組みをしている」「面白そうだ」という項目でプラスのポイントを得られる日は果たしてやってくるのだろうか。

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     東村山ユーウツ狂詩曲第3番は、5月30日(土)にロードショー公開される映画『あん』である。
     えーっ、でもぉ、主要ロケ地ということで注目もされてるんだから、ちっともユーウツってことはないんじゃないのぉ!? イヤイヤ、甘い甘い。東村山というのは、ちょっとでも油断して期待しちゃったりなんかするとエライ目に遭う町なのである。
     ソコのところは、facebook〈映画「あん」私設宣伝部〉の管理人、薄井政美氏もちゃーんとわかってらっしゃっていて、数日前、いなげや東村山市役所前店に向かう途中でバッタリ会った時に、「『あん』は盛り上がってるじゃないですか!!」と言ったら、「いやぁ、でも、ネットだけじゃダメなんですよね」とおっしゃっていた。
     ロケ隊のスタッフルーム的役割を担った久米川の「みっちゃんち」で〈ご当地映画『あん』PR戦略会議〉か発足し、そこから生まれた〈映画「あん」私設宣伝部〉の活動には、組織の範疇を超えたさまざまな人たちが個人的に協力してくれていて、配給会社と市を巻き込んでの市民割引制度の創設、ポスター貼り大作戦、図書館・書店での特設コーナーの開設、「塩どら焼き」の試作などの話題も満載で、ネット上で予想外の快進撃を続けている。
     とにかく、映画の主要ロケ地になったということは、テレビのバラエティ番組でチョロッと紹介されたという程度のこととは別格の話だ。映画が評価されて名作として語り継がれてゆくことになれば、東村山で撮られた映像も映画史に残ることになる。私はまだ観ていないのでなんとも言えないのだが、東村山にとって千載一遇のチャンスであることは間違いない。
     てゆーか、この『あん』という映画、いろんな意味でいろんな人たちの正念場になっているのも事実なのだ。
     まず、華々しい受賞歴でマスコミ頻出度の高い河瀨直美監督だが、実は映画館での観客動員数となると決して大盛況ではない。取材やイベントは数多くこなしてもギャラの単価が安いし、テレビ放映の契約料やDVDの著作権で糊口を凌ぐしかないのが昨今だ。ここらあたりでドーンと映画がヒットしてもらわないと、「客を呼べない監督」のレッテルが余計強力に貼り付いてしまう。
     徳江を演じる樹木希林は周知の通り、放射線治療でがん細胞と戦い続けている闘病患者である。ご当人も「どの役も遺作になるかもしれないと思って演じている」と言っていて、ソレナリの覚悟はしているようだが、やはり心のどこかには晩節を穢さずに逝きたいという思いがあるに違いない。『あん』の大ヒットは、この稀代の個性派女優にすばらしい花道を用意してくれるかもしれない。
     原作者であるドリアン助川は、いったんは『叫ぶ詩人の会』の代表として注目を浴びたものの、その後の人生はブレーキの壊れたジェットコースターのようなものだった。それがやっと小説『あん』の成功でブレーキがかかり、久しぶりに世間の注目を浴びるようになった。大手出版社にはケンもホロロな扱いを受けたというトラウマも、映画『あん』のヒットで払拭できるかもしれないのだ。
     千太郎役の永瀬正敏は、1983年に映画『ションベンライダー』でデビュー以来、日本映画界の寵児として話題作に次々と出演。しかし、2004年に小泉今日子と離婚して以来、アンデンティティを失って迷走しているかのように俳優としての活動は失速している。徹底的に仕事を選ぶことで知られる永瀬が相当に入れ込んだ映画『あん』がヒットしなければ、キョンキョンの元ダンという扱いはさらに続くだろう。
     映画『あん』の配給元であるエレファントハウスは、2013年に設立されたばかりの、映像・出版・音楽・イベントなどを手がける多分野エンタテインメント企業。これまで、イベント関連の映画を配給したことはあるが、単体での本格的な劇場用映画の配給は『あん』が初めてとなる。まさに社運を賭けた大プロジェクトでもあるわけだ。『あん』がヒットすれば、次回作のプロデュースワークも円滑に進むはずだ。
     そして、最後に東村山である。もーこーなったらね、他人のフンドシでも棚からボタ餅でも二階から目薬でもなんでもいいから、利用できるものはトコトン利用してナントカ浮上しないと、「まちに活気がある」とは永遠に思ってもらえない気がする。映画『あん』にまで見放されたとあっちゃ、ニミッツ、マッカーサーじゃないが、出てこなくても勝手に地獄に逆落としである。カンダタと同じで2度と血の池地獄からは這い上がれないかもしれない。
     ところで、『あん』は小説にも映画にも、その中に「東村山」という単語は1度も出てこない。特に映画の場合は、製作発表の段階では原作がハンセン病国立療養所多磨全生園をモデルとして書かれていることや、東村山が主要ロケ地であることを積極的に公開してこなかった。それは製作サイドの深謀遠慮の配慮で、全生園と東村山との関連を特定されることを避けたのだそうだ。確かに製作サイドの心情もわかるし、今でも偏見や差別は決してなくなっていないのだろうけれども、腫れ物にさわるようにしてタブー視するのがいちばんいけないような気がする。
     ドリアン助川がそのあたりをどう考えていたのかはわからないが、おそらく彼は、ハンセン病の暗くて哀しい歴史を踏まえつつも、あくまでフィクションとして描きたかったのだろう。そうでないと『あん』のポエジーが途端に説教臭くなってしまうからだ。ポエジーになったおかげで、東村山がシャチホコ張った負の歴史の呪縛から解放されて、誰もが拒否反応なしでハンセン病の歴史と向き合える物語になった。せめてこの事実についてだけは、私たち洗練されていない東村山市民は『あん』から学ばなければならない。
     もうまもなく公開される映画のおがけで、ムラのネット社会はしばらく『あん』フィーバー状態になるだろう。それは東村山にとって非常にイイいい刺激になるし、市民にとっても喜ばしいことだと思う。でも、単なるお祭り騒ぎで終わってしまえば、またもやお得意の尻切れトンボで元の木阿弥だ。あーヨカッタで満足してしまえば例によって単発花火で終わってしまう。東村山はもっともっと貪欲であっていいのだと思う。
     いや、しかし、やっぱりホントはね。たまたま東村山で撮影された映画に便乗するんじゃなくて、インパクトと独創性のあるコンテンツがあればそれに越したことはないのだけれど、どーもなんでげすな、余命イクバクもないジィさんにとっては夢の又夢なのでありましょうナァ。
     東村山の夜明けはまだまだずっとずっと遠い遠い先のような気がしてユーウツなのである。

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