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    正義の疾風ヒガシムラヤマンtwitterアドレス

     エー、どんこい祭2010のポスターとともに疾風(はやて)のようにあらわれて、フロッギー☆レースとともに疾風のように去っていった我らがヒーロー「正義の疾風ヒガシムラヤマン」でありまして、あっ、そーか、それで正義の“疾風”なのかと考えたりしている昨今でゴザイマスが、なぜそんなことになったのかとツラツラ考えながらネットを見ておりましタラッ、なーんかとっても似ているヒーローを見つけました。
     それが、おとなり所沢市の「航空戦士トコザロワン」でございまして、ま、別に全国的にそんなに話題になってるわけでもなし、キャラクターに弱いお子様ガタはともかく、ドッチかっていうとオトナの市民には白い目で見られたりしているヒーローなんですけどね。
     その代わり、プロデューサーである所沢商工会議所青年部の力の入れようと予算注入の度合いは並大抵のものではなく、市内にある日本大学芸術学部の学生・OBの有志や地元市民劇団等の協力を総動員してのPR活動をおこない、ポスターや主題歌のCDだけではなく、“所沢航空発祥100周年記念事業参加作品”と銘打ったプロモーションDVDまで作って売り出したり、市内で開催されるイベントには必ずといっていいほど出てくるし、西武園ゆうえんちでトコロザワンショーまでやってたりして、もうね、びんぼう自慢ヒガシウラヤマシのコッチはただ指をしゃぶって見ているしかないんですけど、ひょっとするとね、玉砕覚悟の特攻隊員が必死の思いで万策尽きて造り上げたのが「正義の疾風ヒガシムラヤマン」だったんじゃないかと勝手に想像したりなんかしてるんですけどね。

    航空戦士トコロザワン

     ところで、ご存じのように私は(親戚以外は誰も知らなかったりしますけど)、東村山市に引っ越してくる前は所沢市に住んでおりましてね、所沢のJC(青年会議所)が「航空発祥の地・所沢」をお題目のように唱えはじめた頃のことを覚えてたりするんですけどね、私はその試みを「ずいぶんと無理があるコンセプトだなぁ」と思って眺めたりしてたんですね。
     第1に、そりゃ確かに所沢は日本で最初に公式飛行場ができた場所で、跡地には所沢航空記念公園や航空発祥記念館がちゃーんとありますけどね、肝心の所沢飛行場があった頃の遺物というか建物というか資料というか、そういったモロモロの証拠品みたいなものが、戦災による損壊、敗戦時の軍関係者による廃棄、戦後は在日米軍による接収によってどんどんなくなり、かろうじて昭和40年代までは飛行機の掩体壕などがまだ残っていたものの、高度経済成長にともなった宅地造成事業でことごとくが姿を消してしまいました。
     残ったのは周辺住民が大事にとっておいたわずかな写真と、飛行学校時代の数体の銅像や石碑ぐらいのもので、往時の所沢飛行場の存在を訴えかけるコンテンツが徹底的に足りないなと思ったワケですね。ま、なんとかイメージを補完するために航空記念公園に飛行機を置いてみたり、“航空公園駅”や“航空発祥記念館”を開設してみたりはしてるんですけど、戦後になってから1機の飛行機も飛び立っていないという哀しい現実はどうしようもないわけなんですね。
     第2に、そりゃ確かに航空発祥の地となると“飛翔”のイメージがあってウケはいいでしょうけど、実際はなんつったって“大日本帝国陸軍所沢飛行場”だったワケで、当然ながら太平洋戦争にかかわる暗い過去を背負っているワケですけど、ソッチのほうをほとんどヒタ隠しにして“飛翔”の好イメージだけを利用しようとする魂胆がね、なーんか気に入らなかったわけなんですね。
     実際のところ、米軍の本格的な本土爆撃がはじまった1944年(昭和19年)6月頃には、すでに所沢飛行場は陸軍の主要航空基地としての役目を終えていたため、散発的な空襲に見舞われただけで甚大な被害は受けていないのですが、“東村山最大の空襲”といわれている、46人の住民が亡くなった1945年(昭和20年)4月の柳瀬橋付近への空襲は、所沢飛行場への物資補給路だった所沢街道を寸断させる目的によるものであったかもしれないと聞けば、東村山市民としては冗談じゃねえよと言いたくなってくるんでありますヨッ。
     これは余談ですけどね、所沢は“航空発祥の地”であると同時に、飛行機事故による死亡者が日本で初めて記録された地でもあります。今は小手指の北野神社に遷座されてしまいましたけど、戦前の所沢飛行場には、飛行機事故による犠牲者を祀る“航空神社”がありました。今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて航空神社を原隊復帰させる様にせよ。そうしたら今までの罪も許されるのである。とゆーよーな気がどーしてもしてくるんですのよね。
     私は右翼でも左翼でもありませんけどね、戦後の日本の繁栄の陰には、おもに戦争にかかわる驚くほど数多くの犠牲者がいるんだってことはね、やっぱり忘れちゃいけないと思うんですのよ。都合の悪い事実はなかったことにするという思想を極めたい人は、今すぐ東村山市民新聞を講読して読みましょうね。カンケーないですけど、右翼の心意気と左翼の律儀さを合体させたら、スンバラシイ政党ができるような気がするんですけどねーっ。
     さーて、「ヒガムシラヤマンよ何処へ往く」でございますけどっ、なんでも“航空戦士トコロザワン”はですね、得意技(必殺技と言わないのは教育的配慮ですかしら)が「フライングスカイハリケーン」と「トコロザワ・ジェットストリーム」なんだそうですわよっ。ここはヒトツ、我らがヒーロー“正義の疾風ヒガシムラヤマン”が他流試合を申し込んでですね、「だっふんだぁウェーブ」と「国宝ビーム」かなんかで、大躍進都市・所沢の慢心に天誅を下してみませんか。
     もし自信がなかったら、ヘダラー総統と密約を結んで「“へだら”は所沢だけの方言じゃないよ会」を結成してギャフンと言わせてイタダキタイですわねっ。
     ま、負けたらやっぱり渡部尚東村山市長が当麻よし子所沢市長に土下座するということで。
     なーんかね、東村山の市長はドコかでいっぺん土下座をしないと済まないような気がしますのよねーっ。なーんの根拠もありゃしませんケドッ。

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