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    説教節「日高川入相花王」三代目若松若太夫

     今年の2月に当ブログで、説教節公演『さんしょう太夫』についてチットンベェお知らせしてましタラバッ、こないだお弟子さんからコメントをお寄せいただいたりなんかして、こりゃ1度は聞かざぁなるめぇと思っておりましたところ、ふと立ち寄った中央公民館で『日高川入相花王』のチラシを発見し、折りよく時間がございましたことから早速駆け付けました次第です。
     主催者である「東村山市『歴史とロマン』市民の会」ちゅーのは、地元メディアのアチコチでお見かけする団体名なんですけどね、なーぜかホームページもないから実態のチットモわからない謎の団体だったのが、今回いただいた会報を読んでみて正体が判明いたしました。会長は、東村山JC第2代理事長、東村山ロータリークラブ第28代会長、自由民主党東村山総支部長などを歴任しておられる、本町の歯科医、土方義一氏。事務局長は、東村山市立小学校退職校長会会長で東村山郷土研究会会長の両澤清氏なんですわね。
     んー、そんな話を聞くと、ちょっと保守政治団体っぽいニオイも漂ってきますけど、活動方針は至って健全で、「東村山西部地区を『出会い、ふれあい、やすらぎ』の場として整備し、来訪者を増やし、まちや商店街の活性化を図る」団体なんだそうでございますのヨッ。ちなみに、会報の製作を同会から任されているのは、小学生時代に志村けんのコントの相方を務めた、同級生で『居ナック はちこくやま』オーナーの恵面光夫氏であります。
     ま、そんなコト言っても、東村山のディープな組織構造に暗い私なんかはチンプンカンプンですけどっ。ソンナコンナで今回の説教節公演は、本来は会員のための総会終了後の慰安イベントなんですけど、だったらいっそのこと一般開放してたくさんの人に聞いてもらおうという、同会役員の方々の粋な計らいだったりするんですのよね。

    「東村山歴史とロマン」第9号

     2時30分頃に終わるはずだった総会が延びに延びて、開演時刻が30分遅れるというハプニングもございましたけど、説教節のほうはジックリと聞かせていただきました。ただ、ちょっと気になったのは、若太夫師が口演なさっているあいだ、同会幹部のお1人が、なーんの用事が知りませんけど、わざわざ舞台に近い立て付けの悪い引き戸を開けて何度も出入りされるもんだから、そのたんびにみんなが一斉にそっちを見るようなことになるんですのよね。地元にゆかりのある芸人を呼んでその至芸を披露してもらうというのは、とってもいいことだと思うんですけどね、なーんかね、その芸を引き立てる配慮がもうちょっとあってもよかったんじゃないかと思うんですケドッ。
     ところで、総会が終わって真っ先に会場から飛び出してこられたのは東村山一多忙な男、渡部尚東村山市長でゴザイマシタ。そのうしろに付き従う鋭い眼のカタの顔にピンと来てしまったので、思わず110番しそうになりましたけど、よく考えたら市議会議員選挙のポスターでお見かけした方でしたのよね。会場に入ると先ず目に付いたのが、細渕一男元東村山市長を取り巻く熟年男性の一団。私といっしょに会場に入った女性が「あーら、懐かしい顔ぶれが」とおっしゃっていたので、おそらく昔、東村山市をウゴカしていた重鎮のみなさんだったんでしょうね。アッタリマエの話ですけど、私は少年でも青年じゃなくてガタのきてる白髪混じりのアホロートルですけどね、会場をひととおり見渡せば私は間違いなく最少年齢者でございました。
     この説教節ってぇのはね、起源はどうやら鎌倉・室町時代あたりに遡るようなんですわね。だいたい、日本の仏教つーのは漢文の形で中国から伝わってきたわけですけど、普通だったらどこの国でも自国語に翻訳するだろうってぇのに、日本の場合は翻訳しちゃうとアリガタミがなくなっちゃうということで、漢文を音読みするだけのお経が呪文のように意味不明のものになっちゃったんですわね。そのまんまじゃ一般大衆にはワッカリニクイということで、節をつけて仏教説話をわかりやすく広めようということで始まったのが説教節らしいです。江戸時代には一時期隆盛を極めましたが、江戸時代中期にはすでに『義太夫節』に席巻されて青息吐息の状態にあったらしく、その後は有徳の人々によって消え入りそうになりながら語り伝えられてきました。現代の私たちがそんな説教節を聴くことができるのは、まさに盲亀の浮木優曇華の花の奇跡なんですのよねーっ。
     なかでも説教節中興の祖として名高いのが埼玉県熊谷市出身の初代若松若太夫でございまして、10歳の時に説教節に出会ってその魅力にとり憑かれ、11歳で上京して二代目薩摩辰太夫に入門しました。天性の美声の持ち主で、義太夫、新内などを取り入れて新時代にふさわしい独自の世界を創り上げ、元来は大道芸であった説教節を芸術の域にまで高めました。「柔道の父」といわれた嘉納治五郎の援助を受けて1916(大正5)年に『若松会』を設立。帝国劇場、明治座、丸の内有楽座などで開催された若松会の公演はいつも大盛況だったといいます。晩年は戦争の影響で芸能活動を一時中断したりもしましたが、戦後になってから演劇史研究家の河竹繁俊が週刊朝日に書いた記事が注目されたことがきっかけとなって芸能活動を再開。六男の寛(ゆたか)氏に二代目若松若太夫を襲名させ、初代は「若松武蔵大掾」を名乗りました。大成功を収めた早稲田演劇博物館での公演から5ヵ月後の1948(昭和23)年11月14日、生家の土蔵の二階で静かに息を引き取りました。

    初代 若松若太夫

     さーて、話はいよいよ三代目若松若太夫師の一件なんですけどね、私ね、この人の糊口が実は東村山市ふるさと歴史館の学芸員、つまりコームインだということを聞いて、なんてぇますかしらね、学校の国語の先生が自費出版で出しちゃってる小説や詩集みたいなぁ、限りなく自慰行為に近いクソ面白くもないヤツをついつい想像しちゃってました。ま、その通りだったら私はこんな記事を書いてませんけど、ふるさと歴史館学芸員の小峰孝男氏、もといっ、三代目若松若太夫師は、想像以上に芸人としての匂いを感じさせる洒脱な方でした。
     たーだね、忌憚なく申し上げて、ホンモノの一流芸人がたいてい持っているような凄みは今回の公演ではまったく感じられませんでした。そりゃね、公務員なんかやってたら人間ダメになりますわよねーっ。イエイエ、私は決して公務員のみなさんを生きてる価値がナイなんて言ってませんのヨッ。たーだね、何かってぇと集団保身に走りがちな世間での有様を見てるってぇとね、少なくとも斬新な芸人を育てるという理想とは真逆の環境なんじゃないですかしらね。
     芸人の世界というのは不思議なモンで、一般社会のようにイイ成績をとるために刻苦勉励したりとか、一日でも早くシゴトを覚えるために研鑽を積んだりとか、社交性や政治力を駆使して情報ネットワークを形成したりとか、そーゆーことが芸の質の向上や出世に直結するかというと必ずしもそうじゃなくて、どこか普通の人とは決定的に違う何かを持っていて、そこにみんなが惹かれちゃうというだけの話だったりするんですのよね。ほかの人とおんなじ努力をしてたんじゃナンニモならないとゆーか、結論としてはやっぱり個性ということになるんでしょうけど、こればっかりはこーゆー努力をすればこーなれるという方程式が丸っきりないんですのよねーっ。
     ハッキリ言っときますけど、ふるさと歴史館学芸員小峰孝男と説教節芸人三代目若松若太夫が表裏一体の同一人物である限りは、ヘビが自分のシッポから噛み始めて自分を丸呑みにしようとするような、論理的にはありえない大きな矛盾を抱え続けなければなりません。これは私の個人的意見ですけど、人間に個性というものを与えるためには、いかに人生というものに対して不真面目でもいいからどーすりゃいいのさと悩みに悩んで、いかに無駄に足掻いたかということがいちばん重要な気がします。今のうちに公務員生活という矛盾だらけの好環境のなかで足掻けるだけアガいて、定年後にどんだけ公務員の衣を脱ぎ捨てて大変身できるかというのが、三代目若松若太夫に課せられた大命題なのではないかと思います。ま、別に定年まで待たなくて今から辞めてもいいんですケドッ。

    三代目 若松若太夫

     ま、ドッチにしたってね、今回、説教節を拝聴させていただいて改めて実感したのは、ただ「説教節をやりますから来て下さい」という今回のような形式のイベントではね、いくらやっても市民もマスコミもなかなか注目してくれないし、これから変わろうとしている東村山のPRにもぜんぜんならない気がするんですのよね。これまでにも東村山ふるさと歴史館では、企画展「初代若松若太夫展 哀切なる弾き語り-説経節-」を開催したり、写し絵と説教節のコラボや若松若太夫ゆかりの人々の講演会など、それなりに工夫をしたイベントをやっちゃあいるんでございますけどっ、肝心の東村山との関係性を前面に押し出さないもんだから、市民に「オヤッ」と思わせるワクワク喚起を生じさせられないんですのよねーっ。立川談志の『現代落語論』じゃありませんけどっ、伝統芸能というのはなべていかに現代社会と向き合っていくかという姿勢がつねに問われるワケでございまショッ。
     早い話が、国宝の正福寺千体地蔵堂なんかはね、市民に「歴史のロマン」を感じさせられないせいで長年に亘って「宝の持ち腐れ」なんて言われ続けているわけですけど、なんつったって説教節の起源と千体地蔵堂の建造はほぼ同時代なんですから、室町時代と現代をつなげるコンテンツとしての三代目若松若太夫の存在意義は非常に重要だと思うんですのよね。もちろん、欲を言えば『千体地蔵堂縁起時宗公鷹狩りの段』ぐらいはぜひ作ってもらって語っていただきたいところですしね。んだども、8月8日、9月24日の公開日はまだまだ暑いし、11月3日の地蔵まつりの日はもう寒くて、ったく帯に短し襷に長しですケドッ、もうちょっと陽気のいい時期に薪能みたいな夜間ライブぐらいはやっていただきたいところでスワンね。
     なーんか東村山のイベントってね、良く言えば田舎のヤクザみたいに建前ばっかりを重んじるゆとーか、悪く言えばゾウリムシ並みにそれをどう未来につなげていくかをぜんぜん考えないとゆーか、市民の想像力を掻き立てるような展開にぜんぜんなっていないせいで、本来はちゃーんとある東村山のいろーんな『文化』が、無理やり立ち位置を決められてみーんな金縛りに遭っちゃってるような気がするんですのよね。1つ1つの文化を丁寧につなげて機能的に配置して全体像を再構築しないことにはね、いわば新しい文化を創造していく努力をしないとね、いつまでたっても売れそうもないものばっかり並んでいるリサイクル屋みたいなイメージしか持たれないと思うんですのヨッ。
     私ね、会社の備品なんかを買いにドン・キホーテ小平店に行く時に必ず西武線小川駅の東口に降り立つんですけど、ココの駅前ってブリヂストンの関連施設や葬儀場があるばっかりでホントに何もないんですけどね、1箇所だけ何かと人が立ち止まるスポットがあるんですわね。ソリャなんだってぇとね、地元では『のぼり亀』とか『亀桜』とか呼ばれてるみたいですけど、駅前の桜の木にそう言われれば確かにそう思えるカメみたいなコブがありましてね、商店街の人でも作ったのかご大層に看板まで建ってるんですわね。このね、「町おこしのためには木のコブだって利用してやろうじゃねぇか!!」という、うらやましいようなイイ意味での貪欲さがね、東村山には足りないったらないんじゃあーりませんかしらね。東村山駅東口の『志村けんの木』には看板だってありゃしませんからね。ましてや特に文化なんつーモノはね、教科書みたいに学術的説明をしてるだけじゃほとんど誰も興味を持たないんでございますのヨッ。
     なんにしても三代目若松若太夫師には、東村山市民の灰色の脳細胞を突っつく存在としてガンバッテいただきたいところですケドッ、このまんまだと興味を持つ人だけのマニアの会で終わっちゃう気もするんですのよねーっ。別にいつも決まってハコモノでやらなくてもね、元来は門付け芸だったちゅーんですからっ、駅前でやったって公園でやったって空堀川の河川敷でやったっていいと思うんですよね。どーもこーゆーことになるとね、私はついつい小沢昭一的衝動がフツフツと沸き上がるのを抑えられないんでございますけどね、いつだったかカッパ伝説で有名な所沢の持明院の境内に古いリアカー式の霊柩車が置いてあったのを今思い出したんで、今度、ぜひアレをお借りして三代目若松若太夫師をお乗せして、ウチの自転車に付けて市内を回ってゲリラライブをやってみたいと、頭ん中はもうソレばっかなんでございますのヨッ。
     7月3日(日)には、東村山ふるさと歴史館で午後1時30分から説教節『曽我兄弟・勧進帳』の公演があるそうです。コレね、なーぜか定員80名の先着順なんですけどね、東村山市ホームページの『ネット申請』か電話[042-396-3800]で絶賛?申し込み受付中だそーです。毎度申し上げますけど、なんつったって入場料がクリビツテンギョーの200円!! 東村山市一般廃棄物指定収集袋「燃えるごみ用」「燃やせないごみ用」の各1セット720円の3分の1以下なんですのヨーッ。日曜日となると私はたぶん行けませんけど、ここはひとつジックリ聞いてみたいと思った方はお早めにお申し込み下さいましぃ。
     いつか説教節若松派が大躍進して弟子が3,000人くらいになったら、SWH48とかいって日本武道館で選抜総選挙でもやってもらいたいものですわね。

    三代目若松若太夫「曽我兄弟・勧進帳」ポスター

    ★ブログ『若松派 説経 若松若太夫』
    ★蘇れ!伝承音楽「初代若松若太夫」
    ★いたばし らいふ.com「板橋な人・三代目若松若太夫さん」

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