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    ひがっしーの人生ゲーム東村山版

     私は東村山出身ではないし、市内に親戚は1人もいないし、家族はいないし会社ではお荷物だし、たまたま気まぐれでムラに引っ越してきただけの、犬だけがオトモダチの東村山の疫病神みたいな、要するにダメダメポンコツ人間なんですけどね。それでもいつの間にか因果なことに東村山が生涯でいちばん長く住んでいる土地になってしまったのでありますよ、南無阿弥陀仏ぅ。
     となるってぇと、ついつい東村山のことがあなたにもらった帯留の達磨の模様のように気にかかるんでございましてね。このブログでも何かってぇとヘダラをこき続けてきたワケでございますガッ。どーにもアァタね、文句を付けてるだけじゃ何も変わりゃせんのじゃないかと、ここはヒトツ、ダメダメポンコツ人間であるところの私が、ダメダメポンコツ地方都市であるところの東村山について腰を据えてじっくりと考えてみようじゃないかと、思ったりなんかしちゃったりなんかして、そんな感じぃの俺の俺の俺。
     たぁだぁしぃ、これはあくまでも仮説でございましてぇ、アインシュタインの重力波説のように実証するのは無理かもしれないと、ソコんところは先刻御承知の上でお読みいただきたいんでございますけどね。

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     さて、私は商売柄、ネットでググってみるという機会が多いと思うのですけれども、数年前からものすごく疑問に思っていることが1つあります。ま、大したことではないのですけれども、いったん気になりだすとコレが、地下鉄をドコから入れたかわかんない春日三球のような心境になって、朝から晩までなぜだろう?なぜかしら?と考えるばっかりになるのでありましてね。
     とゆーのも、私も以前にお会いしたことのある所沢の三上博史さんという方が、『所沢ふるさと散歩』というホームページを公開しておられるんですけどね。

    ●「所沢ふるさと散歩」
    http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Asagao/4907/tokorozawa_omoide_mokuzi.htm

     ご覧いただければ一目瞭然だと思いますが、素人が作ったものですから多少ビジュアル的には難があるものの、内容的には郷土である所沢への愛情と探求心と活性化への願いが籠められた、実にすばらしいサイトなのでありますよ。
     いやいや、そんなこと言ったって、同じようなサイトなら日本中津々浦々、どこの区市町村にだってあるはずだと誰でも思うざんしょ。ところが、驚いたことに東村山市にだけはドコをどう探してもナイのです。ま、チョロッとだけなら東村山の魅力を紹介しているサイトもありますけど、『所沢ふるさと散歩』のように体系的に情報を網羅しているものは皆無なのであります。

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     いったいこの事実は何をあらわしているのかと考えた時に、私の頭に漠然と思い浮かんだのは、心理学者であるアルフレッド・アドラーが唱えた「劣等感」というキーワードでした。
     もちろん、私は決して東村山の人全員が劣等感のカタマリだなどと断言するつもりはありません。ただ、何か「東村山病」ともいうべき得体の知れないものが存在して、それが立ちはだかる壁となってパワーを喪失しているような気がしてならないのです。
     アドラーは言います。「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生は極めてシンプルである」と。或いはこうも言えるのではないかと私は思うのです。「東村山が困難なのではない。あなたが東村山を困難にしているのだ。東村山は極めてシンプルである」と。
     東村山てぇヤツは、どーしてこーも付加価値を高める努力をしない町なんだろうかと、もう一段深く考えようとする探求心がどーしてこーも欠如している町なんだろうと考えた時に、誰の心にも思い浮かぶのは「ムラ社会」という言葉だと思うんでございますけどね。

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     でも、東村山が本当にムラ社会なのかというと、それはちょっと違うようなんでありましてね。東村山には決して横暴なボスがいるわけではないし、旧態依然たる頑迷なルールがあるわけではないし、一部の人々を差別するような言動が発せられているわけでもない。その代わり、形骸化した旧ムラ社会の残滓を、いつまでもズルズルと引きずっている町という印象がとっても強くあるんでございましてね。
     やっぱり私がいちばん感じるのは、モノにしろコトにしろ、心の底から東村山を改革するんだという気持ちが伝わってくることが非常に少ないとゆーことなのでありますよ。どーもアンでげすな、ナーンカいつも奥歯に物が挟まっているような風情で、帯に短し襷に長しの中途半端で、立て板に水というより横板に餅という感じで、突っ込みが中途半端とゆーか固定観念に囚われているとゆーか、一刀両断にエイヤッと真剣勝負している潔さがなくて、何につけても遠慮しぃしぃやってる感じなんですのよね。
     この奇妙な消極性の理由はいったい何なのか。それはやっぱりドコかしら自己肯定感を持てていないというか、郷土に対する確固たる誇りや自信を持てていないからのような気がするんでありましてね。

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     ハッキリ申し上げますってぇとね、東村山には飛躍的な発展を阻止する負け犬根性のようなものが蔓延しているんじゃないかと思うんでありましてね。付加価値を高めるばかりか、逆に魅力を削り取っているような実例も見受けられたりなんかしております。
     そもそも、「国宝」と「志村けん(東村山音頭)」という他市も羨む2大コンテンツを、活性化のツールとしてほとんど生かしてこれなかったという事実こそ、自己肯定感の欠如の証左であるようにも思うのでありましてね。
     国宝の正福寺千体地蔵堂は、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)が国宝指定されたために都内唯一の国宝建築物ではなくなってしまいましたけど、宗教建築としてはやはり都内唯一であり、司馬遼太郎があらゆる日本文化の源流が存すると評した室町時代に建立されています。
     しかし、国宝・千体地蔵堂を紹介する出版物やサイトは数多くありますが、どれも「国宝だからスゴイに違いない」という先入観丸出しのものばかりで、その魅力を改めて再認識させてくれるような、思わず見に行きたくなっちゃうようなものに私は1度もお目にかかったことがありません。

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     志村けんについてもそれは同じで、見物することのできる記念物が唯一、強剪定で有名な「志村けんの木」だけという現実は、東村山が如何に考えるということを放棄した町であったかということを実証しているように思います。
     何も私は、石原裕次郎記念館や美空ひばり記念館のようなリッパなものを東村山に建てろと言っているのではありません。その代わり、東村山市ふるさと歴史館の常設展示コーナーの1区画でいいから、志村けんを紹介するコーナーはあってもいいように思います。著作権関係をクリアすることの困難さは伴ったにせよ、郷土出身の有名人が地元でこんなに冷遇されている例はほかにはありません。ヤッパできれば、バカ殿様と写真が撮れるプリクラや、変なおじさんのゲームや、インキチ祈祷師のおみくじもあってほしいところですが、たぶんそれは無理なのでしょう。
     なぜそれが無理なのか。ハッキリ言ってそれは、失敗ばかりを恐れる進取の気象のなさからだと思います。加えて、不都合や不利益をもたらすものはなかったことにする見ぬもの清しの精神です。養老孟司氏はそれを「バカの壁」と言いました。

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     では、この東村山の不甲斐なさはいったいどこからやって来たのか。それをこれから検証してみようと思うんでありましてね。
     東村山がどこにでもある典型的な農村であったことは、現在も残っている地割りを見ても明らかです。江戸時代、東村山は天領または寺社領だったから、ナントカ藩の悪代官に牛耳られて苦渋をナメさせられるようなことはありませんでした。現在の狭山丘陵を中心とする広大な地域が、尾張徳川家が将軍から拝領した御鷹場になっていたことは事実ですが、実際にはそんな遠出をしなくても、江戸時代の鷹狩りは現在の世田谷区や杉並区あたりで頻繁におこなわれていたようで、尾張藩の御鷹場指定は幕府の威光を示すための名目上のものであったようです。当時の東村山は実にのどかな、誰にも注目されない武蔵野の辺境の地でありました。
     1889年(明治22年)、野口・廻田・大岱・久米川・南秋津の5村が合併して東村山村が誕生。6年後の1895年(明治28年)、川越鉄道東村山停車場が開業。特に停車場の開設が、東村山村の発展に大きく寄与したことは言うまでもありません。

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     しかし、それから14年後の1909年(明治42年)、東村山村に暗い陰を落とす歴史が刻まれます。ハンセン病患者収容施設である連合府県立療養所「多磨全生園」ができたことです。当時、候補地として目黒・田無・清瀬の名が挙がりましたが、いずれも住民の反対運動が起こって変転し、やむなく東村山にお鉢が廻ってきたという経緯があるようです。
     当時のハンセン病患者に対する差別や偏見は尋常のものではなく、東京府および近県で発見されたハンセン病患者は、患者専用車両で厳重に運ばれ、東村山停車場にあった患者専用ホームに下ろされ、役人の監視のもとにやはり専用の人力車で全生園まで運ばれ、患者専用の入口から中に入れられました。この時からハンセン病患者は、この世から抹殺されたも同然の終身刑の囚人のような暮らしをはじめることになります。
     毎日ではないものの、そういった一連の情景を目にせざるを得なかった心理的圧迫感は想像以上のものでなかったかと思われます。この時から東村山の人たちの心には、東村山村民であることを積極的には誇示し得ない広義のトラウマのようなものが醸成されはじめて、それが子々孫々に心理遺伝のような形で伝わっているのではないかと、ついつい考えてしまったりもするんでありますよ。

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     1942年(昭和17年)にはわずか1万人足らずだった東村山町の人口は、戦後の復興に伴って急速に増加し、1970年代初頭には10万人を突破します。ただし、それは決して東村山が何かを働きかけたという能動的な理由ではなく、ただ単に旧西武鉄道、川越鉄道、武蔵野鉄道、多摩湖鉄道の各社が、1927年(昭和2年)に完成した多摩湖(村山貯水池)近辺の覇権を争って、滅多矢鱈に駅を新設してくれたオカゲなんでありましてね。
     でも、如何に人口が増えたとはいえ、当時の東村山市は、近隣の人以外はほとんど誰も知らない無名の地でありました。ところが1976年(昭和51年)、東村山市民にとっては驚天動地の大事件が起きるのであります。それが『8時だヨ!全員集合』での東村山音頭の大ブーム。
     聞いた話によると、志村けんが東村山音頭を歌うだけならよかったのですが、演出上、歌うのを阻止しようとしていかりや長介が東村山を小馬鹿にした暴言を吐いたりなんかする。そのことに当時の重鎮の一部のカタガタが相当にオカンムリだったようで、そのことが尾を引いて、感謝状1枚贈った代わりに、「これ以上、志村けんとは関わるな」という既定路線ができてしまったようなんでありましてね。

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     ま、ナントモ度量が狭いとゆーかケツの穴が小さいとゆーか、空気が読めないとゆーか物事を深く考えられないとゆーか、実にアキレかえっちゃう話なんではありますが、実はまーだまだ、東村山の一部にはそんな空気が残っているようにも思うんでありましてね。
     それはさておき、東村山音頭の流行は、当時の子どもたちにも心理的波紋を投げかけています。それは、市内の学校に通っている限りではそんなことはないのですが、市外の学校に入学したり、さらに成長して市外の会社に就職した時に、東村山市出身であることを志村けんや東村山音頭をネタに揶揄されることでありましてね。もしかすると、そこらへんにも東村山を郷土として完全には肯定できない、どこか引け目を感じてしまうことの原因があるのかもしれません。
     いずれにせよ、東村山にだって町おこしや地域活性化を目的に熱心に活動してる方は確かにいらっしゃるんですけどね。どーもアンですな。ナンダカンダ言ってやっぱりパワー不足なんでありましてね。ただ、それは情熱が足りないということでは決してなくて、東村山のレーゾンデートルを徹底的に追究していないせいのような気がするんでありますよ。

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     人間というのは、何かってぇと新しいモノを欲しがるもんなんでござんしてね。東村山でもここ数年、いろんな新しい試みがなされております。だけど、どーもね、自らが設定した狭いエリアの中でだけ、非常に安易な選択をしてしまっているような気がします。その安易さが伝わってしまうから、ごく限られたターゲットの心しか掴めていない気がするんでございましてね。
     本来、町おこしだとか地域活性化に際していちばん重要なのは、新しいモノやコトを創造する力によって、さまざまなカテゴリーの枠を超越したコミュニケーションの場を作り、新しい人たちをどんどん巻き込むシナジーを生むことです。そのためには、つねに不特定多数の第三者に何かを伝えようとする意識を持ち続けることこそが肝要なのでありましてね。
     とゆーことは、東村山市民だけではなくて、長万部の人にも、五所川原の人にも、雑餉隈の人にも、能褒野の人にも、栢谷の人にも、凹原の人にも、女鹿串の人にも、今帰仁の人にも面白がってもらえるような魅力的なプランを打ち出すことなのでありますよ。でーもね、東村山はソレがほとんどできていないような気がするんでありましてね。

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     東村山のイメージとして私の頭に真っ先に思い浮かぶのは、やっぱりどうしても悪魔の呪いがかかったようなサンパルネの『産業・観光案内コーナー』なんでございましてね。何と申しましょうか、ひょっとして売れるかも知れないものは全部並べてみましたとゆー、閑古鳥も退屈しているジャンクショップみたいなテイタラク。
     確かに東村山にはいろんなことをやってる人たちがいて、中には個性的なことをやってる人もいることはいるんだけど、ベクトルがバラバラなもんだから、シナジーの点火剤になるような整合性がちっともないんですのよね。
     だいたい、何かにツケて私が東村山がダメよーダメダメと思うのは、人の顔がほとんど見えてこないこと。そりゃ、ネット検索すりゃあね、団体名や代表者名や概要ぐらいは山ほど出てきますけど、あの三上博史さんの『所沢ふるさと散歩』のように気持ちが伝わってこないし、ブログやSNSでの情報発信している場合もあるものの、まるで業務連絡みたいな内向きの姿勢が顕著で、積極的に自分の考えを外部に発信して問題提起をする人が極端に少ないんでござるよ。どこかみぃんな自信なさげなのでありますよ。

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     それと、私がとっても疑問に思うのは、東村山ってけっこう志が高いすばらしい人たちがたくさんいるのに、そういった人たちが集まって組織化されたりなんかすると、いつの間にか精彩を失ってタダの人になっちゃう場合が多いことなんでございましてね。
     私も何度かアチコチの会議を傍聴させていだたいたり、会議録の公開されている場合には読ませていただいたりしてるんですけど、やっぱりどーにも驚いちゃうのは、ナンダカ小学校の学級会みたいで儀式的になりすぎていること。特に創造的なアイデアを捻出するためには、思考の枠を取っ払うことがいちばん重要なはずなのに、せっかく画期的なアイデアの芽が出ても課題をクリアしようとはせずに脇に置いとくだけだから、結局はスルーされて消えてなくなっちゃうケースが多いんですのよね。
     「考える」というのは、自らが創造した新しい思考回路で思考することです。思考回路が新しくないと、結論はいつまで経っても同じで、議論は堂々巡りを繰り返すばかりです。そんな場では独創的なアイデアは決して生まれません。この組織の閉鎖性&硬直化という点だけは、ムラ社会の残滓であるような気がしてならないのです。

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     活性化というのは、昆虫の脱皮に似ているのだと私は思います。青い山脈じゃありませんけど「古い上衣(うわぎ)よ さようなら」なんでありましてね。いわゆる既成概念の断捨離ができないと新しい魅力を付加することができない。現状を維持することばかりに囚われていると、戦時中の冬の空襲警報下の状況のように、その場では不必要な上着やパンツまで重ね着して着膨れ状態で逃げ回るようなことになります。どんなに東村山のナカでは新しい最初のことでも、それが既存のモノの繰り返しである以上、マネッコや二番煎じ、三番煎じだとは見られてしまうのは自明の理です。
     どんなに一生懸命活性化に取り組んでも、結果として強烈なインパクトで無関心派の人々の心を引きずり込むことができなければ、「東村山はつまらない」「東村山は洗練されていない」「東村山には発展性がない」という負のイメージがさらに蓄積されて、人々の潜在意識の中に澱のようにどんどん溜まっていきます。
     東村山にだって地域活性化のための団体やイベントが存在する以上、その各々に会長だとか代表だとか理事長だとか実行委員長だとか、権力を有する責任者のみなさんもいるはずです。でも、その中に東村山の将来的危機を敏感に感じて積極的に行動している人が果たして何人いるのだろうかと。ムラ社会とは言わないまでも、東村山にムラ意識は確実に存在するのではないかと、何かにつけてついつい思ってしまうんでありますよ。

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     よく使われるお役所言葉に、「関係諸機関とも綿密な連携を図ってまいります」というのがあります。これを日本語に訳すと「テキトーに打ち合わせだけしておく」という意味になるそうですが、果たして、東村山って本当に諸団体の連携が図られているんだろうかと、そのへんもナーンカ疑問に感じちゃったりもしているんでございましてね。
     そりゃあね、いちおー、イベントなんかをやる時にはみんなで集まって打ち合わせぐらいはやって、ソレナリの協力体制はとっていると思うんですけどね。東村山の未来についてトコトン議論して、みんなにスゴイワネーと思ってもらえるような結論を出したことが1度でもあるのかしらんと。ひょっとして、「しょせん東村山なんてこんなもん」とナメてかかってやしませんかしらね。
     もちろん活性化に関わっているのは善意の人たちだし、東村山を地獄の底に叩き込んでやろうという悪魔のような人は1人もいないから、1人1人の心にはそれぞれのアツい思いがあるはずなんですけどね。ナーンカそれが悲しいほどに伝わってこないのも事実なんでありましてね。たまーに広報媒体にあいさつ文が載っていることがあっても、たいていスピーチ文例集みたいな美辞麗句なシロモノでちっとも思いが伝わってこないんですのよねーっ。

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     ナンダカンダで今、東村山にいちばん欠けているものは何かといったら、それは「public relations」という考え方じゃないかと私は思うんでありますよ。コレ、日本語に訳すと「広報」というカンタンな単語になっちまいますけど、本来は「組織とその組織を取り巻く人間(個人・集団・社会)との望ましい関係をつくり出すための考え方および行動のあり方」という意味なんでありましてね。
     東村山のケースに当てはめて言えば、15万市民にどうやって働きかけ、どうやって心を動かし、どうやって市民活動に巻き込んでいくかということがいっちゃん肝心なはずなんですけどね。どーもアンでげすな、誰かが「この指とーまれっ!!」と指をさし出しても、集まってくる人たちっていうのがほとんど同じ顔ぶれなんでありましてね。ナーンカね、「みんなでつくるみんなの東村山」じゃなくて、「一部の人たちだけがつくる一部の人たちだけの東村山」になっちゃってる気がするんですのよね。
     もちろん、何かあればすぐに動いてくれる人たちっていうのは地域の宝なんですけどね。まかり間違うと東村山好き好き同好会で終わっちゃって、それ以上に発展しなかったりするんでございましてね。

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     これは私の独断と偏見ですけど、いちおー20ン年住んできてヒシヒシと感じるのは、おそらく15万東村山市民のおよそ90%ぐらいは、東村山ガッカリ同盟と呼んでもイイくらいに、何かにつけて東村山にガッカリしてるんじゃないかと思うんですのよね。
     特に私なんか、総裁を名乗ってもイイほどにガッカリの連続なんでありましてね。先ずは市川一男市長の「目標の位置付けは田園調布」にガッカリし、文化的活動の少なさにガッカリし、大規模書店がないことに失望し、草の根市民クラブにドン引きし、東村山駅西口再開発に呆れかえり、住民投票法案の否決を憂慮し、突然辞職した細渕一男市長にズッコケて、火葬場みたいな八国山たいけんの里に嘆息し、ボランティア用ごみ袋の担当窓口の対応に落胆し、ちっともワクワクしない『水とみどりの東村山わくわくMAP』に匙を投げ、『まち歩き東村山』に幻滅し、市民討議会にガッカリし、東村山版株主総会にガッカリし、ワカモノ会議にガッカリし、議会報告会にガッカリし、観光振興プランにガッカリし、ちっとも身近にならない都政にガッカリし、ちっとも進まない地域活性化に辟易してるんだってばよぉぉぉおっ。

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     無関心な人々の存在が厄介なのは、何をやってもリアクションが返ってこないために、あたかも存在しないかのように錯覚されて、一部の人たちの思いだけが優先されて物事が進んでいくこと。極端に言えば、本来は奇跡のヒーローやヒロインであるべき活性化のために尽力している人たちが、孤立化したモラトリウム状態に陥って裸の王様化しちゃうことなんでありましてね。
     やっぱホントはね、東村山ガッカリ同盟の人たちを積極的に片っ端から巻き込んでいくことが最重要課題であるはずなのに、何かにツケて自己肯定感が不足気味でヤルことナスことが中途半端だから、せっかくのパワーが雲散霧消してしまうことなんでありますよ。
     あのね、昔はそれでもぜんぜん良かったと思うんですけどね。昔はね、明日、山向こうの隣村で祭りがあると聞いただけで、ムラの若者はみんなワクワクしたんだと思うんですのよね。でも、今はネットでいろんなことをまとめて比較されちゃうから、彼らの頭の中で面白くなさそうなものはどんどん淘汰されていっちゃうワケでしてね。東村山の若年人口がどんどん減っているのもむべなるかななんでありますよ。

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     ま、これはお役所なんかがよくやりがちなことですけど、誰からも文句が出ないような最大公約数の普遍性をめざして、できる限り異論の出ない決着をめざそうといたします。その結果、どーなるかというと、なんともホニャララな、誰も反対しないけど魅力の茫漠とした代物がでっち上げられます。
     ま、たとえば大手企業の新しいモノやコトを開発する部門の会議なんかでは、「反対意見が出ない案件には気を付けろ!!」というのが常識なんでありましてね。特に専門家や強い指向性の人たちだけで物事を決めちゃうと、世間の常識やニーズとはかけ離れた路線で突っ走ったりなんかする。それを避けるために最近は、わざわざ専門外の社外取締役を迎えてベクトルを修整したりなんかするんでございましてね。
     いちばんダイジなのは、10年後、20年後を見据えて、今を生きる人たちの思いの波紋を確実に広げていくことだと思います。ソレができないってぇとね、東村山の地域活性化なんて夢のまた夢じゃないかと思うんでありましてね。よっぽどインパクトのあることをやらないと、いつまで経っても90%の無関心な人たちは無関心なままなんでありますよ。

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     それと、これもやっぱりお役所や善意の第三者機関によくあることですけど、みんなで集まって合議で物事を決めたりなんかかする場合、なかんずく気を付けなければならないのが「民主主義の罠」なんでありましてね。どんなことでもみんなの多数決で公平に決めましょう!!ナーンテやってると、何もかもが予定調和の小学校の学級会みたいなことになって、すべてがブナンでツマラナイ方向にばっかり進んだりいたします。
     ココだけの話、町おこしや地域活性化の成功例を見てみるってぇと、全会一致の多数意見で決まったなんてシロモノは皆無と言っていいほどにナイんでありましてね。たいていの場合、最初は反対する人のほうが多かったんだけど、個性的なリーダーや誠実な提案者の迸るパッションに衝き動かれて人々の心が変わっていったという、興味深いエピソードに彩られた劇的な展開が成し遂げられた場合が多いんですのよね。
     そこでやっぱり最大のキーマンとなるのは、地域のリーダーや活性化に尽力している人たちというよりは、むしろそれまで地元の活性化になんかテンデ期待していなかった無関心派の人々なんでありましてね。無関心派の人々を最重要のターゲットにしなければ、やっぱりどうしても関心の高い人々ばかりが集約されて、コミュニティの円環が閉じられてしまうように私は思うのでありますよ。

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     無関心な人たちの心を動かすために必要なのは、しつっこいようですけどやっぱり個性や独自性や新規性、それを生み出すための独創性(オリジナリティ)だと私は思うんでございましてね。
     いえいえ、つっても無理ヤリね、いっぽんどっこの唄みたいに「人のやらないことをやれっ!!」と言うワケじゃあないんでございましてね。というよりはむしろ、真剣に悩みに悩んで物事を深く追究して考え抜いたのだとしたら、出てくる発想はおのずと独創的なモノになるはずだと私は思うのでありますよ。こないだ亡くなった野坂昭如氏も昔、TVCMで「ソッソッ、ソクラテスかプラトンか、ニッニッ、ニーチェかサルトルか、みぃんな悩んで大きくなった」と歌ってましたけど、どーもアタシャね、東村山はまだまだちっとも悩んでいないような気がするんですのよねーっ。たとえ悩んでいたとしても、既成概念に束縛されてルビコン川を渡ることができないままでは、いつまで経っても金持ちにもなれなかった杜子春みたいなもんなんでございましてね。
     これもやっぱり私の妄想かも知れませんけど、私にとって東村山と映画『あん』の千太郎のイメージってなーんかカブるんでございましてね。どこか自分に自信が持てなくて、どら焼きのアンコも出来合いのモノで済まして、虚勢を張りつつも偶然という名の運命に流されるだけのダメ男。ま、ダメ男ってことじゃ私も人後に落ちないんですけどねーっ。

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     どーもね、何もかもが八方美人的発想の見切り発車で決まってしまっていて、ソコに付加価値がちっとも生まれてこない。てゆーか「コレが東村山だぁぁぁぁっ!!」という心意気みたいなものがじぇんじぇん伝わって来ないんでありますよ。カンタンに言えば、ナーンカ面白くないんでございましてね。
     面白くないモンが面白くない理由てぇのは明白で、思考の閉鎖性というかスケールの小ささというか内部撞着性というか、第三者の知的好奇心を呼び覚ませないということなんでありましてね。どーも人間ってヤツは、自分で勝手にカテゴリーを決めて考えて、自分の理解できる範囲だけに行動を閉じこめようとする傾向があるんでありますよ。
     本来、国宝だって東村山音頭だって志村けんだって豊かな自然環境だって、ぜーんぶ東村山の魅力的なコンテンツであることに間違いはないはずなのに、誰もがどこか不動産屋みたいに表層的なアピールをするだけだから、魅力を最大限に伝えることができていないんでありましてね。その魅力を欠点も含めて徹底的に解剖して、ちょっと通常とは違ったアプローチの仕方で昇華させれば、もうちょっとはメッセージ性も高まると思うのにそれをしないんでありますよ。

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     そもそも、昨年3月に市が実施した『東村山認知度アンケート調査』でも、「都会的ではない」に次ぐ負のイメージとして認知されているのは「洗練されていない」というイメージでございました。ブッちゃけた話、「洗練されているとは思えない」ということは、単にセンスがないというよりも、総合的な状況分析や創造的思考ができていない、極言すれば「脳味噌を使った痕跡がみられない」ということと同じだと私は思うんでありましてね。
     ンナコト言ったって、区市町村の活性化の取り組みなんてどこもドッコイドッコイなんじぇねーのっ!!と思ってるカタもいらっしゃるかも知れませんけど、ナントおっしゃるウサギさん、もしそれがワカッテルんだったらね、東村山が率先して先進的なことをやって、「東村山ってスゴイね」と思ってくれた近隣自治体をどんどん巻き込んで、かつてないシナジーを生むことも決して夢ではないと思うのですが、そんな気配は今のところまるでありません。いや、実際にそれは東村山の中ですら起きていないのでありましてね。
     やっぱり理想は、誰かが面白いことをやったら、そのことに共感した別の誰かがもっと面白いことを始めるという、いわゆるパッションの伝播ということが肝心カナメの要諦だと思うのですが、東村山の場合、一次的に新しいことをやる人があらわれても、それに続く二次的・三次的な発展にはタメ息が出るほどに結びついていないんじゃあーりませんかしらね。

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     最近、私があまりにもトンチンカンなんで驚いちゃったのは、市役所の都市マーケティング課が実施した『みんなで選ぶ東村山市のブランドメッセージ&ロゴマーク』でございましたぁぁぁっ。
     んー、百歩譲ってコレね、ホカにも地域活性化のための施策がいくつもあって、その中の1つとしてコレがあるんだったらアリかなと思うんですけどね。周りを見回してもホカに何をやってるというワケじゃなし、ナンダカとっても唐突な気がするんでございましてね。ヤッパ本来は、ホカにもいろんなことを徹底的にやって、盛り上げるだけ盛り上げて市民の期待が最高潮に達した段階で、「んじゃ、ここらでブランドメッセージを決めましょうかのっ!!」と提案するのがフツーだと思うんですけどね。そのあいだのプロセスがまるっきし端折られてるんですのよね。
     そもそも、ブランド化つーもののメリットは「付加価値が加わることで高くても売れる」ことのはずなんですけどね。ナーンカね、なんでんかんでん味噌糞いっしょに「たのしむらやま」つーことになると、売れ残りの在庫一掃セールみたいになっちゃって、付加価値どころか全体の価値を下げることになりゃあしませんかしらね。ま、ごく一部の人たちはそれでもノッてくれるのかも知れませんけど、ハッキリ言って、大多数を占める東村山ガッカリんこ倶楽部の会員の皆様は、コンナンじゃ余計にプライドや誇りを持てなくなっちゃうんじゃあござんせんかしらね。

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     何かコノォ、全体を見る目、巨視的視点が欠落してるんじゃなかろうかと、東村山全体を見回しての総合的判断のできる人がどうしてコォもいないんだろうかと、どうしてコォ、ドイツもコイツも遮眼帯をかけられた馬車馬みたいに裸の王様になっちまってるんだろうかと、ついつい思っちゃったりするんでございましてね。つーかね、渡部尚市長も4月の庁内放送で「『たのしむらやま』でわくわくするような東村山創生を!!」とおっしゃってましたけどね。なーんだ、裸の王様の正体はアンタだったのかいっ!!と思っちゃったりもいたしましたわヨーッ。
     いやいや、私だって渡部市長はよくやってると思うんですよ。でーもね、ナーンカ最近、渡部尚市長をお見かけするたんびに、あちらこちら飛び回りながら誰にでも勝ち名乗りを挙げてる節操のない行司とゆーか、一部の市民をオダテまくっているタイコ持ちのように見えてきちゃったりもするんですのよね。私心がないし誠実だし、議会やタウンミーティングでも毎回丁寧に答えていらっしゃるし、東村山の現状をなんとか変えようと努力してらっしゃることには拍手を送りたいんですけどぉ、良くも悪くも優等生なんでありましてね。昔も今も優等生の最大の欠点は、ご自分の自覚のあるなしにかかわらず最大公約数的安全策をついつい選んでしまうこと。ご自身は清水の舞台から飛び降りる覚悟でやってらっしゃっても、他人にはフンドシから金玉がはみ出た程度にしか思ってもらえてないんじゃないかと思うんですのよね。

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     渡部市長はさまざまなサイトのブロフィール欄で、好きな言葉として坂口安吾の「あちらこちら命がけ」を挙げていらっしゃいます。流行作家になっても決して時流に迎合しなかった、ドラッグ中毒になりながらも敢然と荒野に立ち続けた、求道者としての安吾の破天荒なダンディズムに共感を覚えておられるからだと思うし、市長の心の中には安吾に通じるパッションが眠っているはずだと私は勝手に想像しているのですが、なぜか普段の言動からはそれが感じられない。
     これはナントナクですけど、無縄自縛だなあとゆー感じがちょっとだけするんでございましてね。市長の潜在的パッションのストッパーになっているものは、おそらく人並み外れた責任感のせいではないかと、これもやっぱりナントナク思うんですけどね。ナーンカいっつも、すべての責任を我が身一身に背負って、姿の見えないエイリアンと戦ってらっしゃるようなところがあるんでありましてね。ソコのところがドーモ、ガンバってるのはわかるんだけど独り相撲に見えちゃったりする部分があるんですのよね。
     ホントは渡部市長の心の中にも、アッと驚く為五郎な潜在的パッションが眠っているはずです。でも、たぶん、やっぱり既成概念のせいで埋没しちゃっているような気がするんですのよね。てゆーか、そもそも東村山という町そのものが、どこか死んだ魚の目のような町になっちゃってる気がするんでございますけどねーっ。

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     ツイデに言っとくワケじゃありませんけど、そんな渡部市長の肝煎りで実現したものの中で私がなかんずく感心したのは、「あんのまち東村山実行委員会」が作った映画「あん」ロケ地マップ『あんがこのまちに残したもの』でございました。
     ま、コレには私の知り合いが何人も関わっておりましてね。だからってお世辞で言うのでは決してなくてぇ、パンドラの匣の中に唯一残った希望であるかのように感じました。これほど作り手たちの気持ちが伝わってくる刊行物というのは東村山には未だかつてなかったと思います。もちろん、そのパワーの源泉は映画「あん」のオリジナリティの力なのでしょうが、映画「あん」が発するミッションコードが一部の東村山市民の何かを呼び覚ました証左なのでありましてね。
     コノね、想いがどんどん伝わってパッションが生まれていくということこそが、町おこしや地域活性化の原点なんでありましてね。しかも、「緑ゆたかな」「笑顔あふれる」という抽象的な理想概念ではなくて、実在の映画を媒介とした人生の奥義につながるメッセージとしてきちんと表現されているところは、前の市長さんや前の前の市長さんの時代にはなかったことなんでありましてね。やっぱりソコは渡部市長らしさなのではないかと考えるワケでございましてね。

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     だぁけぇどぉ、ヤッパものすごく残念なのは、いかんせん大勢の人々に強大なインパクトを与えるようなモノにはなっていない点なんでございましてね。確かにミクロコスモスとしてはほぼ完璧なんだけど、町おこしや地域活性化という総合戦略的な観点からみると、テンデなっちゃいないのでありましてね。そぉんなぁんじゃ東村山無関心居住者連絡協議会のみなさんの心には訴えかけられないのでありますよ。
     せめて、東村山の魅力を伝える想いの籠められた同等のリーフレットが10冊同時に刊行されたのだとしたら、おそらく市民に対するインパクトも100倍くらいに増大して、新聞の地方版ではなくて全国版に採り上げられる可能性もあったと思うのですが、結局は映画「あん」にオンブにダッコの代物で、コレだけだと発展性がほとんどないから、どーしたって地域限定の美談で終わっちゃうんですのよね。ハッキリ言って詰めが甘いんでございましてね。
     今年3月に発表された「『東村山市シティプロモーションアンケート調査』結果報告書」にも、「イベントによる『認知→イベント参加→理解→愛着→移住』という流れで理解促進をはかることが望ましい」「まずは認知度促進活動を行うことが重要と考えられる」とありますが、ホントはその前段階として考えとかなくちゃならないことがイッパイあるんじゃあーりませんかしらね。

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     どーもね、東村山について考える時、いつまで経っても私の頭の中にチャンチャカチャンチャカ流れてくる歌があるんでございましてね。それは、戦前に流行った「もしも月給が上ったら」「あゝそれなのに」という2つの歌なんでありますよ。ご存じないカタは、著作権切れで堂々とYouTubeで公開されていますから、ぜひ1度聞いてみていただきたいんですけどね。
     なーんかコノォ、東村山のヤルことナスこととゆーのが、アワヨクバ大作戦とゆーかイキアタリバッタリ方式とゆーか、全体を包み込む整合性というものがまるでなく、すべてがブチ切れで持続性がない。その場しのぎのパワーしか感じられないんでありましてね。ちょっと活気があるかしらと思えるのはイベントの当日だけで、それ以外の日はお通夜みたいな町なんだってばよーぉっ。
     アンにしても、私がどうしても杞憂を感じてしまうのは、現在の東村山の現状の延長線上には、たとえさりげなくソコソコの薄ぼんやりした未来はあっても、ギンギラギンの明るい未来は決してやってこないだろうということなんでありましてね。もしも、「いやいや、そんなことはない。東村山の将来には必ず輝かしい未来が待っている」と、そう断言できる方がいらっしゃるんだとしたら、たぶん、死ぬまで議論してもわかりあえないだろうから、縁無き衆生とあきらめていただくほかはないんでありましてね。

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     んじゃ、ナーンデ東村山はこぉんなハラホロヒレハレの町になっちまったんだろうかと。その要因はヤッパ、市川&細渕のW(ダブル)一男ちゃん市長時代の24年間の無策のツケぢゃないか、とゆーのは半分冗談ですけど、何かしら東村山の風土として、小市民的とゆーかドングリの背比べとゆーか非創造的とゆーか、人をアッと驚かせるような先進的なことのできない、アナクロニズムに属する感覚が依然として残っているように思います。
     せっかく東村山を活気づけたいという目標もちゃんとあるんだし、そのために情熱を傾けてくれる人たちもいるっていうのに、いったい何をどうしたら活性化につながるのかという具体的なプロセスがまるで見えてこないのでありましてね。いやいや、見えてこないというよりも、活性化のための手段があまりにも稚拙で短絡的であるために、多くの市民の心にパッションとして響かない。市民の心を奮い立たせるプラスαの発想がないせいで、せっかくの貴重なエナジーが雲散霧消してしまっている気がするんですのよね。
     東村山市民の大多数を占めるのは、無関心派の東村山あーあヤんなっちゃった同盟のみなさんなんですけどね。そのみなさんだって生まれた時から、引っ越してきた時から無関心だったということはあり得ません。いったい、いつ、どこで、どのように無関心になってしまったのかを、徹底的に検証してみる必要があるんじゃござんせんかしらね。

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     つーことで、ココイラで東村山がどーしてダメダメポンコツ都市なのかという核心に触れていきたいと思うんでございますけどね。ヤッパどーしても1番目は、「固定観念に裏打ちされた思考スケールの矮小さ」ということになるのではないかと思います。
     これはもう私が四半世紀東村山に住んでいてものすごく実感していることなんでございますが、東村山ってね、ナーンカ新しいことをイチから始めるのをとっても敬遠する傾向があるんでございましてね。想像力を超えたモノをちっとも見せてくれない町なのでありますよ。いちおー、いろんなことをやってるカタタチはいらっしゃるんだけど、考えがどこかセコハンでミニマムで、想像力を喚起してくれるような思考の広がりが感じられない。すべてが予定調和なもので満ちていて、固定観念の楽園とゆーか既成概念の坩堝とゆーか、東村山をイチから変えていくんだという覇気が伝わってこないのでありますよ。
     「それでもいいじゃん」というご意見もあるにはあるとは思いますけど、三島由紀夫の言葉を借りれば、「それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐる」のでありましてね。決して大げさなのではなく、私は東村山がこのままだと死んでも死に切れないんだっちゅーのっ。

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     続いて2番目は、当ブログをお読みいただいているカタには先刻御承知の「リアクションを起こしてもらえるような独創的発想の欠如」なんでありますよ。
     いったい、東村山には進取の気象といふものがあるのだらうかと。しぃかぁもぉ踏んだり蹴ったりなことに、ヤルことナスことに独創性さえもがほとんどない。たいていヨソの町の二番煎じ、三番煎じ、中には百何十番煎じなものもあるというテイタラクなんでございましてね。誰にも文句を言われないキトキトに新しいことや、誰もが驚いちゃう独創的なことを実行できれば、いろんな人たちの琴線にビンビン触れてエナジーの伝播につながって、もっともっと新しい人たちも巻き込むことができるし、市外の人たちにもアピールできると思うのにソレをやらない。何かにつけて無難な方向へ無難な方向へとベクトルがズレていくから、「個」の主張を失ってどんどん訴求力を失っていくのであります、だっふんだぁ。
     ま、コレは「思考スケールの矮小さ」と表裏一体の関係なんだと思いますけど、何かにつけて東村山の人たちって、なんでんかんでん東村山という狭い枠の中に押し込めようとする傾向があるんですのよね。思考がタコツボ状態になっていて、せっかくのエナジーも内部で不完全燃焼を繰り返すばっかりだから、斬新な発想がちっとも出てこないんでありましてね。

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     3番目は、「イノベーションを起こすための法則を無視し続けていること」であります。
     町おこしとか地域活性化つーよーなものは、シナジーの日本語訳が「相乗効果」であるように、相乗、つまり、ありとあらゆるさまざまな手法を駆使して、多角的に集中的に連続的に総合戦略的なコペルニクス的全面転回でスピード感をもって一気呵成にやることで、市民のあいだにバチバチと音が出るような化学反応が起きることがその最大目標なんでございますけどね。どーもなんでげすな、東村山の場合は何と申しましょうか、『きんぎょのおひるね大作戦』とでも申しましょうかしらね。いちおーいろんなコンテンツは揃っているにもかかわらず、「何かやっとけば東村山が盛り上がるだろう」という希望的観測だけで突っ走るから、やってることがみんなバラバラで、ものすごくワケのワッカラナイ、ビシッとした整合性の感じられない町になっちゃってるんですのよね。
     東村山が「笛吹けど躍らず都市」であることにはドナタ様もご異論はないと思いますけど、そーなっちゃってる最大の原因は、やっぱ「どーせ東村山なんてつまらないもん」というイメージが、何10年かかって市民のあいだに定着しちゃった結果だと思うんでありましてね。ソレを覆すのは並大抵のことじゃありゃせんのじゃテッ。

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     4番目は、「将来や課題について徹底的に議論する場がないこと」なんでございましてね。
     いやいや、市民討議会や東村山版株主総会やワカモノ会議でもちゃんと議論はしてますヨッと市長はおっしゃるかも知れませんけどぉ、実際はね、そのほとんどが懐中じるこ方式の短時間の即席討論会だしぃ、フリーダムな議論が展開されているケースは皆無に等しいんでありましてね。
     とっても残念なのは、FacebookやTwitterではたまーにトンデモナク鋭い問題提起がされていることがあるんですけどね。ほとんどの場合、「いいね!」やリツイートがされるだけで情報の洪水に呑み込まれていってしまうこと。もちろん、基本的人権を害するような攻撃はダメですけど、少なくともイベントの内容についてぐらいは問題点を指摘しあっても何の問題もないと思うのに、コミュニケーション円滑の保持を理由にスルーされてしまう。私の周囲の辛口中高年軍団からは、一部のイベントについて「いつまでも補助金目当ての思い出づくりをやってるんぢゃねいっ!!」という声が何度も挙がってたりするワケですが、私の知る限りではかつてこの問題について徹底的な議論がなされたことさえございやせん。
     やっぱり基本は「万機公論に決すべし」であるべきなんだから、議論にタブーを持ち込んでなかったことにするのは、自分で自分の首を絞めることになりかねないと思うんですけどねーっ。

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     5番目は、「効果的な情報発信メディアが1つも存在しないこと」なんでありましてね。
     いや、そもそもね。東村山ってホントに情報網がウチの会社の事務所の配線コードみたいにごんぐらかってる異常な町なんでございましてね。ネットで調べたって通りいっぺんのことしか出てこないし、市報には読み応えのある記事がほとんどないし、まいぷれ東村山市は「東村山市からのお知らせ」ばっかりで頭にきちゃうし、Facebook東村山会は告知だらけだし、人物について詳しく調べようと思っても所属団体や役職名が出てくるばっかりで万事休すだし、データベース的なモノが市役所の情報コーナーと中央図書館の地域資料コーナーぐらいにしかないから、ただでさえイチイチ足を運ばなきゃならないってぇのに、重要資料は持ち出し禁止だから書き写すかコピーしなくちゃなんないだっつーのっ。
     何よりも困っちゃうのが、人物のブロフィールや相関関係が極めてわかりづらいこと。私のような地縁的関係を持たない闖入者にとっては、もーちょっと、市長以外の東村山を動かしている人たちがどういう人かってことが見えてこないと、興味が湧かないし親近感も持てないんでありましてね。紙媒体はお金がかかると言うんだったら、せめてね、Web版インタビューマガジンや、イベントだけでも総合的に網羅している情報サイトぐらいはあって欲しいんですけどねーっ。

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     6番目は、「さまざまなジャンルの人々を巻き込むような体制ができていないこと」。
     町づくりや地域活性化のキーワードとしてよく使われる「異なる才能のかけ算でイノベーションが生まれる」という言葉がありますが、まさにその通りなんでありましてね。しかし、残念ながら東村山にはまだイノベーションが生まれた気配はありません。今や東村山にとって記念碑的と言えるイベント「まちジャム」でさえ、キビシーことを言うようですが、雰囲気を高める芳香剤としての役割は果たしていても、イノベーションを起こす起爆剤としての役割は果たしていないのでありましてね。
     私は決して交友関係が広いほうではありませんが、それでも、「東村山に住んでいるから何らかの地域活動に関わってはみたいと思うけど、既存の団体やイベントには食指を動かされるようなものがないんですよね」という人を何人も知っています。なぜ、そうした人たちを巻き込むことができていないのかを、もっともっと切実に考えるべきであるように思うのでありますよ。
     東村山はもっともっと貪欲であっていいんだし、もっともっと積極的に市民にアプローチをしてもいいはずなのに、やはり自己肯定感が持てていないせいかどこか消極的なんでありましてね。ついつい「なーんでそーなるのっ!!」と言いたくなってくるんですのよねーっ。

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     7番目は、「一部の組織・団体に垣間見られるアナクロニズムの蔓延」なんでありましてね。
     東村山市には、町おこしや地域活性化に関わるさまざまな組織・団体があるんでございましてね。ま、私もすべてについて知ってるワケじゃありませんけれど、「なんで30年前とおんなじ時代錯誤なことをやっとるんじゃぁぁぁーっ!!」とゆーのがとっても多いんでございましてね。詳しく書いてると長くなっちゃいますから割愛しますけど、「屁の突っ張りにもならない説明は要らないんだっつーのっ!!」「事前に資料を配付しとけばそれで済んだんじゃね?」「コレって全員いる必要あるの?」「それが目的だと手段は違うんでねぇの?」「こぉんなお通夜みたいな会議でアイデアなんか出るかいっ!!」ぬわぁーんてのがホントに多いんですのよね。
     だいたい、組織つーものは、油断しているとすぐに硬直化&形骸化いたします。いちばん肝心なのが適材適所、つまり御神輿に誰を乗せるかという人事なんでございますけど、主要団体の役員にはたいてい錚々たるお歴々が納まっていらっしゃる。ボランティアだから天下りにはならないと思いますけどぉ、そのお歴々のお1人が、アチコチに顔を出しては大昔の自慢話とパワハラまがいの小言をつぶやいては引っかき回しているとゆー噂は、ムラでは特に有名なんでありましてぇ、ソンナンじゃいつまで経っても東村山は進歩なんかできないんだっつーのっ。

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     8番目は、「内部でしか通用しないモラトリアムな聖域を作ってしまっていること」。
     これは別名「アマチュアリズムの落とし穴」とも言われる課題でありましてね。カンタンに言えば、「私たちは決してブロではないのだから、それぞれが自由にやりたいことをやって、仲間内だけで楽しめればそれでいいじゃん」ということなんですけどね。でも、自分たちが面白がることにどんなに達者でも、他人を面白がらせるチカラがなければ、競争原理が働かないから東村山は永遠にナマヌル解放区になっちまうんだってばヨッ。
     特に主要イベントの場合は、既定路線として年中行事のように定着してしまっているワケですけど、主催団体に既得権益が生じているとは言えないまでも、それに準じた独占的優位性が生じているのは事実なんでありましてね。公的補助金も投入されているという関係上、せめて1つぐらいはコンペ方式で開催団体を決めるとか、一般市民も自由に評価したり運営に参画できるシステムがあれば、もーちょっとナントカなると思うんですけどねーっ。
     モラトリアムな壁を壊して、付加価値を相互に高めあう理想的な環境づくりができないと、市民1人1人がせっかく持っているはずの可能性としての伸びしろを無視することになって、非常にモッタイナイ気がするんですのよねーっ。

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     9番目は、「誰1人として東村山のグランドデザインを描けていないこと」。
     ま、そぉんなヨウナモノはね、市役所の管轄部署がチョロッと出したりはしてるんですけどね。ソレじゃダメなんですのよね。だってぇ、ただでさえ東村山と聞くとウズウズしちゃう、わずかな魅力でも針小棒大に解釈して褒め殺しして下さる天然記念物のようなカタたちの視点で作ってるんですのよね。ンナンじゃ、もーどーでもいいのさ東村山死ね死ね団のみなさんのハートは掴めないんだっちゅーのっ。
     グランドデザインを作るつーのは、わかりやすく言えばテーマパークのイメージ展開図を作るようなもんだと思いますけど、パーツの模型をただ箱庭に並べたような代物じゃ訴求力が生まれないのでありますよ。東村山の歴史や文化について徹底的に分析した上で、何をどうすれば魅力として伝わるのか、興味を持ってもらうためには何が足りないのか、他のコンテンツとの関連性をどう持たせるか、大きな魅力だけではなく小さな魅力についても考慮して、イメージの空洞ができてしまう場合にはストーリーを付け加え、わかりにくい部分については飛躍的な装飾を加えるというような、想像力をかき立てるための死に物狂いの工夫が必要なんでありましてね。それができなければいっそのこと活性化なんて諦めるべきじゃあーりませんかしらね。

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     そして、いよいよ最後の10番目は、「共同体感覚を高める多次的コミュニケーションを実践できていないこと」。
     人間にとってコミュニケーションがいかに重大かは言うまでもありませんが、実はこのコミュニケーションというのが曲者なんでありましてね。町づくりや地域活性化が画策される場合、どうしても「会合に実際に参加できる人」の意向が優先される傾向があります。でも、本当はその陰には、住んではいるけど知ったこっちゃない東村山居留民団の人たちがおびただしいほどいるんでございましてね。結果的にその人たちの意向は無視され続けることになっちゃってたりなんかしませんかしらね。
     前出の心理学者のアドラーも、「人間にとっていちばん重要なのはコミュニケーションを媒介とした『共同体感覚』である」と言っていますが、ただでさえ現代社会は、小集団だけが乱立する「小衆社会」とも呼ばれていて、「共同体感覚」を高めることがどんどんむずかしくなっています。今、東村山に最も求められているのは、実際に会って話をするという1次的コミュニケーションの壁を超えた、多次的コミュニケーションで未来を切り拓くことであり、それができなければ、誰がどんなにガンバったところでしょせんは「一部の人たちだけがつくる一部の人たちだけの東村山」になっちまうんじゃないかと思うんでござるよ。

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     ま、要するに、『しろいうさぎとくろいうさぎ』をちょっとアレンジして言えば、「ねえ、そのこと、もっといっしょうけんめいにかんがえてごらんなさいよ」ということなんでありましてね。偉そうなこと言ってんぢゃねいっ!!とゆーご意見も当然あるんだと思いますが、やっぱり私はどう考えてみても、東村山の現在の状況の延長線上には、笑顔があふれているような明るい未来は見えないんでございましてね。このままでは、全国に何百、何千とあるヘナチョコ地方都市と同じ道を歩んでいくのではないかと。だったら、東村山がもう1ランク上のステージをめざして一斉に底上げして、他市に先んじて革命的なイノベーションを起こしたっていいじゃないかと思うんですけどねーっ。
     ハッキリ言って、東村山には現状のままでは飛躍できない本質的欠陥があります。相変わらず一部の人々だけが脳天気に盛り上がっている、たまーに新聞の地方版やニュースの穴埋めソースとしてマスコミに採り上げてもらえるだけの、書き割り建築のような、昼行灯のような、ほぼ当事者の自己満足にしかなっていない恥ずかしい現状のままで、いつまでも燃料ギリギリの低空飛行を続けるのか。それとも、もっともっと違った理想やベクトルを持つさまざまな人を巻き込んで、固定観念や既成概念にとらわれることのない本当の意味でコンテンポラリーな都市をめざすのか。東村山市は今、50数年の歴史の中でミゾユーの正念場に立たされていると考えるのは果たして私だけなのでありまショーカッ。

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     誰かに「どちらにお住まいですか?」と聞かれて「東村山市です」と答えた時に、あなたの心に去来しているのは掛け値なしの誇らしさでしょうか、それとも、ヒジョーにビミョーで複雑な「東村山ですみません」という気持ちの混じった焦れったさでしょうか。「東村山です」と答えた時に、「えーっ!! あの、今、飛ぶ鳥を落とす勢いの東村山ぁぁぁっ?」と驚いてもらいたいと、ちょっとだけ思ったことはありませんか?
     このブログで前にもご紹介したことがありますけど、大本教の出口王仁三郎が主張した『雛形理論』というものがあります。もちろん、その根底にあるのはオカルティズムだから、私も諸手を上げて賛成するワケではありません。でーもね、どんなにテクノロジー万能の現代社会であるとはいえ、たとえ取るに足らないささやかなことであっても、そこに真実のカケラが含まれてさえいるならば、ホカの何かと少しずつ共鳴しあってシンクロニシティ(共時性)を生むのではないかという幻想は、むしろ持ち続けなければならないと私は思うのでありましてね。
     今までとは違ったアプローチの仕方で、これまでにはいなかった新しいジャンルの人たちのモチベーションを喚起し、誰にも真似のできない独自のパースベクティブを持つことができれば、明日にでも東村山は変わることができるかもしれない。そんなことを考えながらダメダメポンコツ老人の私は、棺桶に突っ込んだまま抜けなくなった片足を抜こうとしてモガいてるのであります。
     んー、てゆーか、今更ながらとっくに長文警報発令中なのでございましたーっ。

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