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    説教節「日高川入相花王」三代目若松若太夫

     今年の2月に当ブログで、説教節公演『さんしょう太夫』についてチットンベェお知らせしてましタラバッ、こないだお弟子さんからコメントをお寄せいただいたりなんかして、こりゃ1度は聞かざぁなるめぇと思っておりましたところ、ふと立ち寄った中央公民館で『日高川入相花王』のチラシを発見し、折りよく時間がございましたことから早速駆け付けました次第です。
     主催者である「東村山市『歴史とロマン』市民の会」ちゅーのは、地元メディアのアチコチでお見かけする団体名なんですけどね、なーぜかホームページもないから実態のチットモわからない謎の団体だったのが、今回いただいた会報を読んでみて正体が判明いたしました。会長は、東村山JC第2代理事長、東村山ロータリークラブ第28代会長、自由民主党東村山総支部長などを歴任しておられる、本町の歯科医、土方義一氏。事務局長は、東村山市立小学校退職校長会会長で東村山郷土研究会会長の両澤清氏なんですわね。
     んー、そんな話を聞くと、ちょっと保守政治団体っぽいニオイも漂ってきますけど、活動方針は至って健全で、「東村山西部地区を『出会い、ふれあい、やすらぎ』の場として整備し、来訪者を増やし、まちや商店街の活性化を図る」団体なんだそうでございますのヨッ。ちなみに、会報の製作を同会から任されているのは、小学生時代に志村けんのコントの相方を務めた、同級生で『居ナック はちこくやま』オーナーの恵面光夫氏であります。
     ま、そんなコト言っても、東村山のディープな組織構造に暗い私なんかはチンプンカンプンですけどっ。ソンナコンナで今回の説教節公演は、本来は会員のための総会終了後の慰安イベントなんですけど、だったらいっそのこと一般開放してたくさんの人に聞いてもらおうという、同会役員の方々の粋な計らいだったりするんですのよね。

    「東村山歴史とロマン」第9号

     2時30分頃に終わるはずだった総会が延びに延びて、開演時刻が30分遅れるというハプニングもございましたけど、説教節のほうはジックリと聞かせていただきました。ただ、ちょっと気になったのは、若太夫師が口演なさっているあいだ、同会幹部のお1人が、なーんの用事が知りませんけど、わざわざ舞台に近い立て付けの悪い引き戸を開けて何度も出入りされるもんだから、そのたんびにみんなが一斉にそっちを見るようなことになるんですのよね。地元にゆかりのある芸人を呼んでその至芸を披露してもらうというのは、とってもいいことだと思うんですけどね、なーんかね、その芸を引き立てる配慮がもうちょっとあってもよかったんじゃないかと思うんですケドッ。
     ところで、総会が終わって真っ先に会場から飛び出してこられたのは東村山一多忙な男、渡部尚東村山市長でゴザイマシタ。そのうしろに付き従う鋭い眼のカタの顔にピンと来てしまったので、思わず110番しそうになりましたけど、よく考えたら市議会議員選挙のポスターでお見かけした方でしたのよね。会場に入ると先ず目に付いたのが、細渕一男元東村山市長を取り巻く熟年男性の一団。私といっしょに会場に入った女性が「あーら、懐かしい顔ぶれが」とおっしゃっていたので、おそらく昔、東村山市をウゴカしていた重鎮のみなさんだったんでしょうね。アッタリマエの話ですけど、私は少年でも青年じゃなくてガタのきてる白髪混じりのアホロートルですけどね、会場をひととおり見渡せば私は間違いなく最少年齢者でございました。
     この説教節ってぇのはね、起源はどうやら鎌倉・室町時代あたりに遡るようなんですわね。だいたい、日本の仏教つーのは漢文の形で中国から伝わってきたわけですけど、普通だったらどこの国でも自国語に翻訳するだろうってぇのに、日本の場合は翻訳しちゃうとアリガタミがなくなっちゃうということで、漢文を音読みするだけのお経が呪文のように意味不明のものになっちゃったんですわね。そのまんまじゃ一般大衆にはワッカリニクイということで、節をつけて仏教説話をわかりやすく広めようということで始まったのが説教節らしいです。江戸時代には一時期隆盛を極めましたが、江戸時代中期にはすでに『義太夫節』に席巻されて青息吐息の状態にあったらしく、その後は有徳の人々によって消え入りそうになりながら語り伝えられてきました。現代の私たちがそんな説教節を聴くことができるのは、まさに盲亀の浮木優曇華の花の奇跡なんですのよねーっ。
     なかでも説教節中興の祖として名高いのが埼玉県熊谷市出身の初代若松若太夫でございまして、10歳の時に説教節に出会ってその魅力にとり憑かれ、11歳で上京して二代目薩摩辰太夫に入門しました。天性の美声の持ち主で、義太夫、新内などを取り入れて新時代にふさわしい独自の世界を創り上げ、元来は大道芸であった説教節を芸術の域にまで高めました。「柔道の父」といわれた嘉納治五郎の援助を受けて1916(大正5)年に『若松会』を設立。帝国劇場、明治座、丸の内有楽座などで開催された若松会の公演はいつも大盛況だったといいます。晩年は戦争の影響で芸能活動を一時中断したりもしましたが、戦後になってから演劇史研究家の河竹繁俊が週刊朝日に書いた記事が注目されたことがきっかけとなって芸能活動を再開。六男の寛(ゆたか)氏に二代目若松若太夫を襲名させ、初代は「若松武蔵大掾」を名乗りました。大成功を収めた早稲田演劇博物館での公演から5ヵ月後の1948(昭和23)年11月14日、生家の土蔵の二階で静かに息を引き取りました。

    初代 若松若太夫

     さーて、話はいよいよ三代目若松若太夫師の一件なんですけどね、私ね、この人の糊口が実は東村山市ふるさと歴史館の学芸員、つまりコームインだということを聞いて、なんてぇますかしらね、学校の国語の先生が自費出版で出しちゃってる小説や詩集みたいなぁ、限りなく自慰行為に近いクソ面白くもないヤツをついつい想像しちゃってました。ま、その通りだったら私はこんな記事を書いてませんけど、ふるさと歴史館学芸員の小峰孝男氏、もといっ、三代目若松若太夫師は、想像以上に芸人としての匂いを感じさせる洒脱な方でした。
     たーだね、忌憚なく申し上げて、ホンモノの一流芸人がたいてい持っているような凄みは今回の公演ではまったく感じられませんでした。そりゃね、公務員なんかやってたら人間ダメになりますわよねーっ。イエイエ、私は決して公務員のみなさんを生きてる価値がナイなんて言ってませんのヨッ。たーだね、何かってぇと集団保身に走りがちな世間での有様を見てるってぇとね、少なくとも斬新な芸人を育てるという理想とは真逆の環境なんじゃないですかしらね。
     芸人の世界というのは不思議なモンで、一般社会のようにイイ成績をとるために刻苦勉励したりとか、一日でも早くシゴトを覚えるために研鑽を積んだりとか、社交性や政治力を駆使して情報ネットワークを形成したりとか、そーゆーことが芸の質の向上や出世に直結するかというと必ずしもそうじゃなくて、どこか普通の人とは決定的に違う何かを持っていて、そこにみんなが惹かれちゃうというだけの話だったりするんですのよね。ほかの人とおんなじ努力をしてたんじゃナンニモならないとゆーか、結論としてはやっぱり個性ということになるんでしょうけど、こればっかりはこーゆー努力をすればこーなれるという方程式が丸っきりないんですのよねーっ。
     ハッキリ言っときますけど、ふるさと歴史館学芸員小峰孝男と説教節芸人三代目若松若太夫が表裏一体の同一人物である限りは、ヘビが自分のシッポから噛み始めて自分を丸呑みにしようとするような、論理的にはありえない大きな矛盾を抱え続けなければなりません。これは私の個人的意見ですけど、人間に個性というものを与えるためには、いかに人生というものに対して不真面目でもいいからどーすりゃいいのさと悩みに悩んで、いかに無駄に足掻いたかということがいちばん重要な気がします。今のうちに公務員生活という矛盾だらけの好環境のなかで足掻けるだけアガいて、定年後にどんだけ公務員の衣を脱ぎ捨てて大変身できるかというのが、三代目若松若太夫に課せられた大命題なのではないかと思います。ま、別に定年まで待たなくて今から辞めてもいいんですケドッ。

    三代目 若松若太夫

     ま、ドッチにしたってね、今回、説教節を拝聴させていただいて改めて実感したのは、ただ「説教節をやりますから来て下さい」という今回のような形式のイベントではね、いくらやっても市民もマスコミもなかなか注目してくれないし、これから変わろうとしている東村山のPRにもぜんぜんならない気がするんですのよね。これまでにも東村山ふるさと歴史館では、企画展「初代若松若太夫展 哀切なる弾き語り-説経節-」を開催したり、写し絵と説教節のコラボや若松若太夫ゆかりの人々の講演会など、それなりに工夫をしたイベントをやっちゃあいるんでございますけどっ、肝心の東村山との関係性を前面に押し出さないもんだから、市民に「オヤッ」と思わせるワクワク喚起を生じさせられないんですのよねーっ。立川談志の『現代落語論』じゃありませんけどっ、伝統芸能というのはなべていかに現代社会と向き合っていくかという姿勢がつねに問われるワケでございまショッ。
     早い話が、国宝の正福寺千体地蔵堂なんかはね、市民に「歴史のロマン」を感じさせられないせいで長年に亘って「宝の持ち腐れ」なんて言われ続けているわけですけど、なんつったって説教節の起源と千体地蔵堂の建造はほぼ同時代なんですから、室町時代と現代をつなげるコンテンツとしての三代目若松若太夫の存在意義は非常に重要だと思うんですのよね。もちろん、欲を言えば『千体地蔵堂縁起時宗公鷹狩りの段』ぐらいはぜひ作ってもらって語っていただきたいところですしね。んだども、8月8日、9月24日の公開日はまだまだ暑いし、11月3日の地蔵まつりの日はもう寒くて、ったく帯に短し襷に長しですケドッ、もうちょっと陽気のいい時期に薪能みたいな夜間ライブぐらいはやっていただきたいところでスワンね。
     なーんか東村山のイベントってね、良く言えば田舎のヤクザみたいに建前ばっかりを重んじるゆとーか、悪く言えばゾウリムシ並みにそれをどう未来につなげていくかをぜんぜん考えないとゆーか、市民の想像力を掻き立てるような展開にぜんぜんなっていないせいで、本来はちゃーんとある東村山のいろーんな『文化』が、無理やり立ち位置を決められてみーんな金縛りに遭っちゃってるような気がするんですのよね。1つ1つの文化を丁寧につなげて機能的に配置して全体像を再構築しないことにはね、いわば新しい文化を創造していく努力をしないとね、いつまでたっても売れそうもないものばっかり並んでいるリサイクル屋みたいなイメージしか持たれないと思うんですのヨッ。
     私ね、会社の備品なんかを買いにドン・キホーテ小平店に行く時に必ず西武線小川駅の東口に降り立つんですけど、ココの駅前ってブリヂストンの関連施設や葬儀場があるばっかりでホントに何もないんですけどね、1箇所だけ何かと人が立ち止まるスポットがあるんですわね。ソリャなんだってぇとね、地元では『のぼり亀』とか『亀桜』とか呼ばれてるみたいですけど、駅前の桜の木にそう言われれば確かにそう思えるカメみたいなコブがありましてね、商店街の人でも作ったのかご大層に看板まで建ってるんですわね。このね、「町おこしのためには木のコブだって利用してやろうじゃねぇか!!」という、うらやましいようなイイ意味での貪欲さがね、東村山には足りないったらないんじゃあーりませんかしらね。東村山駅東口の『志村けんの木』には看板だってありゃしませんからね。ましてや特に文化なんつーモノはね、教科書みたいに学術的説明をしてるだけじゃほとんど誰も興味を持たないんでございますのヨッ。
     なんにしても三代目若松若太夫師には、東村山市民の灰色の脳細胞を突っつく存在としてガンバッテいただきたいところですケドッ、このまんまだと興味を持つ人だけのマニアの会で終わっちゃう気もするんですのよねーっ。別にいつも決まってハコモノでやらなくてもね、元来は門付け芸だったちゅーんですからっ、駅前でやったって公園でやったって空堀川の河川敷でやったっていいと思うんですよね。どーもこーゆーことになるとね、私はついつい小沢昭一的衝動がフツフツと沸き上がるのを抑えられないんでございますけどね、いつだったかカッパ伝説で有名な所沢の持明院の境内に古いリアカー式の霊柩車が置いてあったのを今思い出したんで、今度、ぜひアレをお借りして三代目若松若太夫師をお乗せして、ウチの自転車に付けて市内を回ってゲリラライブをやってみたいと、頭ん中はもうソレばっかなんでございますのヨッ。
     7月3日(日)には、東村山ふるさと歴史館で午後1時30分から説教節『曽我兄弟・勧進帳』の公演があるそうです。コレね、なーぜか定員80名の先着順なんですけどね、東村山市ホームページの『ネット申請』か電話[042-396-3800]で絶賛?申し込み受付中だそーです。毎度申し上げますけど、なんつったって入場料がクリビツテンギョーの200円!! 東村山市一般廃棄物指定収集袋「燃えるごみ用」「燃やせないごみ用」の各1セット720円の3分の1以下なんですのヨーッ。日曜日となると私はたぶん行けませんけど、ここはひとつジックリ聞いてみたいと思った方はお早めにお申し込み下さいましぃ。
     いつか説教節若松派が大躍進して弟子が3,000人くらいになったら、SWH48とかいって日本武道館で選抜総選挙でもやってもらいたいものですわね。

    三代目若松若太夫「曽我兄弟・勧進帳」ポスター

    ★ブログ『若松派 説経 若松若太夫』
    ★蘇れ!伝承音楽「初代若松若太夫」
    ★いたばし らいふ.com「板橋な人・三代目若松若太夫さん」


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    |06-14|コメント(0)TOP↑
    2011東村山市議選選挙結果

     薄井政美さんは、私がお付き合いいただいている唯一人のハムの人、ん? じゃなくて公の人でゴザイマシタ。
     ま、もともと私にとっては、お目にかかるずーっと前から『東村山グルメ日記』のmasaさんでしたけど、なーんとなくブログが『東村山駅西口再開発反対運動日記』の様相を呈してきて、へぇーっと思ってるうちに『住民投票条例』の設置を求める市民運動が盛り上がったのをきっかけに、アレヨアレヨという間に気が付いたら立候補して当選なさってましたわね。
     その後、ブログ『好きになろうよ!東村山』のコメント欄を通じてのネット上の交流はあったものの、はじめてお会いしたのは3年前の4月1日、市役所通りの歩道での犬との散歩の途中で、masaさんは紺色のコートを着たダイエット中の内藤剛志という感じの人でした。コッチはもちろんポスターなんかで顔を知っているものの、masaさんは私の顔を知らないだろうなぁと思って声をかけるのをためらっていると、「もび郎さんですか?」と私がブログにコメントした時のハンドルネームで呼びかけられました。どーも、私がYouTubeに投稿してるわんこ動画をご覧になっていたようで、たぶん、私の顔じゃなくて犬のもび郎を見てわかったんでしょうね。なーんか突如始まったオフ会のような不思議な出会いでした。
     その頃のmasaさんは、例の一派に対する名誉毀損裁判の提訴の準備にテンテコマイだった時期で、いろいろ話したいと思ってもコッチには忙しいだろうなぁという遠慮があり、いっぽうのmasaさんのほうはってぇと、このカタ、議員さんとしては珍しいほど権威意識や演説癖や集票意識がまったくなくて、いつ出会ってもホンワカとした自然体の人懐っこいカタで、「コンナ人がセクハラ市議であるわけがないっ」とシンソコ思った記憶がありますけど、やっぱりmasaさんのほうからも「どーかよろしく頼みますヨッ!!」なんことはヒトコトもおっしゃらないんですわね。だから、たまーに街角で遭遇するだけで、しばらくはお会いすることもほとんどありませんでした。
     ソンナコンナで同じ年の11月、ウチの会社の王白姫が発起人となってプチボラ団体『東村山わん友会』が設立されまして、毎月第2日曜日の朝8時に天王橋集合で、空堀川緑道に放置されている犬のフンを清掃する『ドッグウォークin東村山』がはじまったんですけどね、ここで大量のビニール袋詰めの放置ウンPが山になっているのを見つけてしまって、処理方法について市役所に相談に行ったらナント4部署をたらい回しにされて埒が明かず、万策尽きて『市長へのeメール』を出したら瓢箪から駒で第2回の時に渡部尚市長が参加されることになり、そのことをmasaさんにお知らせしたら、「私の家は徒歩0分ですから私も参加しますよ」ということで、masaさんが天王橋のまん前のマンションに住んでいることを知りました。ちなみに、この袋詰め放置ウンPの件は、市長の即決で「燃やせるごみと燃やせないごみが混じっていても特例として収集を許可する」というお墨付きをいただいて解決いたしました。
     毎月第2日曜日の『ドッグウォークin東村山』に、masaさんは用事のない時には必ず参加してくれるようになりました。毎回、増えたり減ったりの放置ウンPに一喜一憂しながら、masaさんは市議としての仕事や市役所や議会でのこぼれ話をざっくばらんにしてくれました。
     私がここで改めてmasaさんについて書いておきたいと思ったのは、これは前々から少しずつ考えていたことですが、結論から言って、私に『どーすりゃいいのさ東村山』というホームページとこのブログを作らせたのはmasaさんじゃなかったかと思うからです。
     私は議員さんのブログというものをほとんど読みません。それはなんちゅーか、シャッチョコ張っているとゆーか、真面目すぎるとゆーか、形式に囚われているとゆーか、使命感に燃えすぎているとゆーか、情報や思いが限定あるいは凝縮されていてちっとも面白くないからです。そんな私が、masaさんの『好きになろうよ!東村山』だけは、「好きになるのはムリじゃねぇのっ!!」とかブツクサ言いながらもたびたびチェックしていました。それは、この人の文章にはなーんかホッとさせてくれる遊びの部分があるからなんですわね。あのね、この人に本当に政治家としての資質があるのかといえば、たとえば、総理大臣ができるかといったらハッキリ言ってできません。でも、プロの政治家としてではない自然体の視座があるからこそ、masaさんの文章はとてもわかりやすく頭に入ってくるんじゃないかと思うのです。
     2009年5月、masaさんは、市民に利益をもたらす開かれた議会運営をめざして、行政チェックと市民の立場に立った政策提案という市議会本来の機能を強化するため、佐藤まさたか議員・大塚恵美子議員とともに新会派「変えよう!議会・東村山」を結成しました。ハタ目には、この会派の主張が次第に「自治基本条例」の制定をめざす渡部尚市長の思いとシンクロナイズするようになって、昨年12月の「市民討議会」、今年2月の市議会主催の講演会「市民に開かれた議会へ/議会改革で自治体は変わる!?」につながってきたように思いますわね。でーもね、渡部尚市長がしきりに「元気を出せ!!東村山」「みんなで創るみんなの東村山」なんて言ってるわりにはね、その進捗状況があーんまりにも遅くてマドロッコしい一方で、お役所関係の出来事に「なーんや、ソレ!!」っていう驚きの事実があーんまりにも多くてですね、「んもーっ、我慢できないっ!!」つーんで作っちゃったのが『どーすりゃいいのさ東村山』だったりしたワケですわね。
     そーゆーワケで言いたいことは山ほどあったんですけどね、文句を片っ端から並べるだけじゃほとんど誰も読んでくれませんわね。てぇことで、ナンダカンダでmasaさんに輪をかけた遊びの部分をソフィスティケートして爆発させた、ほぼボヤキ漫才のようなものが出来上がったんですわね。そういうインスピレーションをもたらすきっかけとなったのは、やっぱりmasaさんのブログだったような気がしますわね。私には後方支援というような意思は最初からなかったんですけどね、やっぱりドコかでなーんか引き合うものがあったんだとは思います。
     ま、実際、私とmasaさんはそういうコトについて面と向かっては一切話をしたことはないんですけどね、やっぱりどこかしら意気に感じて下さったものとみえて、『どーすりゃいいのさ東村山』をブログやツイッターで積極的にPRしてくれたりなんかして、それに応えるような形で私も記事を更新するというようなことが続きました。それはそれでたくさんの意味があったように思うんでゴザイマスわね。だから私はそのことについてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございますーっ。十代目桂文治は、「『ありがとうございました』っていうのは江戸弁じゃねぇよね。『したっ!!』て客を突き放しちゃうんだから」と言ってましたわね。
     チマタでは、今回の結果は、東北大震災による市民の不安意識の影響とか、例の一派のうそビラ撒布作戦やFMデマ放送の成果だとおっしゃるカタもありますけど、私はなーんかそうじゃないような気がするんですよねーっ。王白姫なんかは、「もっとおせっかいになろう、っと。」とツイッターでつぶやいてましたけど、これは私だけかもしれませんけどね、議会に薫風を吹き入れたmasaさんの役目はコレはコレできっちり終わってるような気がするんですのよね。んー、2、3ヶ月あたり前からですかしらね、masaさんのブログやツイッターには、文字通りあふれんばかりの何部作にも及ぶ連続物のつぶやきとか、「コレでいいのか?」と自問自答するものがヤケに目立つようになって参りましてね、私はなーんか新しいことでも始めるのかと思ってたんですわね。なんだかmasaさん自身の変革の前兆のような気がしてね。masaさんのことですから、自分でも心のどこかでソレを感じていながら、同じ会派の議員さんに気兼ねして潜在的に押し殺していたような気がするんですわね。なーんの信憑性もない話ですけどね。
     なんつったってね、新聞記者→風俗ライター→市議会議員という人生をたどった日本人はmasaさん1人だと思いますのでね、次に何になるんだろうっタラッとゆーのが私たち共通の興味だったりするワケですけど、ま、とりあえずね、お時間がございましたら東村山わん友会のほうににご参加下さいましね。私たちの思い入れが決して無駄ではなかったことを、犬の糞でも拾いながら実感したいと思います。こーんなことね、面と向かってはぜったい言えませんのよねーっ。



    |04-25|コメント(4)TOP↑
    五寸釘寅吉・二代目五寸釘寅吉

     ソンナコンナで、【写真左】が日本記録の脱獄六回を誇る本家本元の五寸釘寅吉こと西川寅吉(1854~1941)。で、【写真右】が今回ご紹介する東村山市在住の二代目五寸釘寅吉なんですけどね、その経歴をざっと見てサスガの私もヤバイッと思ったのが、児童ポルノ法違反による懲役一年六月、執行猶予四年の犯罪歴。もーね、ハッキリ言って生きてる価値がないと罵っていい最低最悪の大馬鹿モンです。
     ただし、二代目五寸釘寅吉について語る時、決して避けられないもう1つの事実があります。それは精神病(躁うつ病および統合失調)の病歴があるということ。この人の元来の職業は“五月小一朗”という芸名の浪曲師だったんですけどね、浪曲師の檜舞台であるNHKの「浪曲十八番」にも2度出ていますし、最盛期には日本全国を股にかけて飛び回ってるし、「黄色い黒いオルフェ」「日本三文カルメン」「花月園幻のVロード」「ビバ・アナルキスモ!」などの自作の新作浪曲の口演にも積極的に取り組んでるし、嘘ではなく本当に若手のホープとして八面六臂の大活躍だったようです。ところが、浪曲師になって12年目に発病して、何かにつけて意味もなく喧嘩を吹っかけるようになり、楽屋での大立ち回りが原因となって日本浪曲協会を離脱せざるを得なくなります。
     ま、それにつけてもね、やっぱり児童ポルノ法違反という犯罪歴は途轍もなく重いです。重いっ!! 重すぎる!! 埼玉銘菓十万石饅頭!!なんて言ってられないほど重い。いくら破天荒を自任するご本人でもブログやツイッターのプロフィールには書けないほど重い。だから、このブログでその犯罪歴を公開するのはちょっと可哀相じゃないの?という声も当然あると思いますけど、世の中にこの犯罪ほど隠しておいてあとで発覚した時の相手のダメージが殺人に匹敵するほど大きい犯罪はなくて、「テヘヘッ!! 実は児童ポルノ法違反で捕まってました。こんちコレマタッ!!」ってことが許されません。だから私は堂々と書いて、人生をリニューアルしようとしている大馬鹿モンが1人、私たちとおんなじ東村山に住んでるっていう事実をね、とりあえず厳粛に受け止めていただきたいと思うんですのよね。
     でもね、だいたい、この人ね、購入した児童ポルノのDVDをコピーして売るという天下を揺るがす裏稼業をサイドビジネスにしていながら、その売却ルートといえば刑務所の塀の上を歩いているような危なっかしいオークション・サイト経由だし、しかも、ブログには非合法な商売をやっていることを臆面もなく書いてあったりして、関西大学法学部卒業とはとても思えない危機管理意識のなさなんですのよね。おそらく毎日常用していた向精神薬の影響が相当にあるんじゃないかと思いますけどね。
     関西大学法学部卒業といっても、この人は関西出身じゃありません。1968年(昭和43年)7月14日生まれの東京都練馬区出身です。高校生だった17才の時(1985年頃)に新左翼思想に目覚めたといいますけど、当時はいわゆる新人類が登場した時代で、新左翼運動なんてほとんど終わっていた時代ですから、遅きに失した感がないわけじゃいなんですけど、大学在学時の1990年10月の第22次西成暴動(大阪府警察西成警察署の署員が暴力団から賄賂を受け取っていた事件の発覚によって起きたあいりん地区の日雇い労働者による暴動)には和服の着流し姿で参加して、警察署の焼き討ちを画策したというウワサもあります。たぶん本当だと思いますけど。
     エー、話は花菱アッチャコッチャに飛びますけどね、浪曲師になってからあと、この人が洋服を着ている姿を見た人は誰もいなくて、いつも着流しの和服姿で髪は角刈り。煙草はやるけど酒はほとんど呑めなくて、無類の競輪好き。当人は“ある意味バイセクシャル”と言っていますけど、そのへんは一時期ゲイバーのダンサーとして働いていたことに通じるかもしれません。
     大学2年の時に、画家の西村俊郎に同行してフランスのパリを訪れます。この当時すでに80歳の齢を数えていた西村俊郎老画伯との交流と、パリのアーティフィカルな空気が、のちに“五月小一朗”という浪曲師を誕生させます。ま、なんで浪曲師だったのかはいまだにわかりませんけど、海外に行くってぇとね、日本の魅力と欠点がよくわかるなんてことがあるんですのよね。
     とにかく、大学卒業後、浪曲界の重鎮“五月一朗”に弟子入りした五月小一朗は、数年後からメキメキと頭角をあらわします。その一方で、三十路を過ぎて新左翼から新右翼に転向。一水会を足場に『エロスとイデオロギー』をテーマにさまざまなイベントを実施し、自主製作映画の主演にも抜擢されたりします。このあたりは浪曲師としての絶頂期であると同時に、精神病発症の萌芽となる何者かがこの人に憑りついたような気がします。
     発症後、前述の経緯で自主的破門。それでどうしたのかというと、今度はインディーズ噺家“目白バタイユ”となって、女優の黄金咲ちひろ、深月ユリア、AV女優のRIONAなど、10人ほどの弟子を抱える新作落語集団“目白過激團”を結成。もちろん、それだけじゃ喰えないから、AV監督、香具師、ストリッパーのヒモ、小豆相場師、個人輸入業などのさまざまなサイドビジネスに手を出します。そのサイドビジネスの1つが無修正DVDの販売で、晴れて児童ポルノ法違反で捕まったということなんですのよね。
     懲役一年六月、執行猶予四年の判決が確定したあと、目白の自宅を引き払い、エンターテイメントの世界からプッツリと姿を消します。実はオヤジさんが住んでいる東村山に引っ越してきてたんですけどね。それで何をはじめたかというと、画家です。試しにネット・オークションに出品してみたら予想外に売れて、なし崩し的に画家になってしまったんだそうです。執行猶予期間が終わるのを待って、昨年10月に銀座のヴァニラ画廊で初の個展「『ニンフェット・エロチカ』展」を開催。売りたくない絵は10万円でも、その他の絵は超破格値だったせいもあって、出品作はほぼ完売で大成功、と言いたいところですけどね、児童ポルノ法違反の犯罪歴にビビッて良識あるマスコミは寄り付きゃしませんわね。
     その一方で、目白過激團の公演も計画中で、現在、団員を大募集しています。ナンにしてもね、「クセで生きてる性格だから」(by伊佐山ひろ子)といっていいアクの強い芸人で、インディーズ噺家としての演目はテレビや寄席では公開できない放送禁止用語満載のバレ噺ばっかりですから、ホントに好き嫌いの分かれる芸風なんですけどね、YouTubeで“目白バタイユ”で検索すると出てきますから、興味のある方はご覧下さいましね。
     なんにしても、「東村山在住の芸人だから応援しよう!!」と声高に言えないところがね、なんとも哀しいところなんですけどね。まだ42歳で必ず和服という風貌は相当に目立つと思いますからっ、東村山駅の近くで見かけたら、別に「頑張って生きて下さい!!」なんて声はかけなくていいですから、「ああ、アレが二代目五寸釘寅吉ね」と冷ややかに見つめるだけでいいですから、ちょっとだけ思い出していただけると私としてはうれしいんですけどね。
     ひょっとするとね、この“二代目五寸釘寅吉”という名前にもね、過去の自分自身に五寸釘を打ち込むという意味が籠められているのかもしれません。

    二代目五寸釘寅吉作品群

    【付記】東村山はあくまで仮寓だったようで、都会の風が懐かしくなってか、古巣の新宿区大久保に舞い戻ったとのこと。ま、ドッチかってゆーとナマヌルの東村山に嫌気が差したのかも知れませんケドッ。


    |01-28|コメント(0)TOP↑
    草野心平・西部邁・左右田一平

     そーゆーことで、東村山市在住の有名人といえば、古くは詩人の草野心平氏、ちょっと前まで住んでた人だと評論家の西部邁氏、たぶん今も住んでる人だと、テレビドラマ『美しい隣人』やサントリーの「グルコサミン&コンドロイチン」のCMでお見かけする俳優の左右田一平さんなんかがおられるわけですけどぉ、最近、互聯網(インターネット)を衝浪(波乗り)してましタラバッ、「アラッ、この人も東村山に住んでるのねーッ!!」とちょっと驚いたのが、この(↓)詩を書いた張本人なんですわね。

      人生って
      人が生まれ!
      人として生きる!
      そうなのかなぁ?
      69年の歳月生きた
      そして・まだ生きている!
      命って何だろう?
      人生も命も俺には
      わからない?
      心臓が止まったら
      人生も命も終わり?
      俺にはわからない?
      でも生きている
      いつまで生きるのかわからない
      でも生きている
      そんな俺がわからない??

     御年69歳だということだけはわかると思いますけど、そのほかはナニガナンダカワカラナイ。そんな人がこんな職業やっててホントにいいの?って気もしますけど、その昔は“降霊界のロバート・デ・ニーロ”、 今は“開運の父”とか言ってる、占い師の雪洲(松隈雪洲→松隈運開→雪洲)さんなんですのよねーっ。
     つーてもね、この人のことを占い師だというとほかの占い師が怒るくらい、日本一、いや、世界一ハチャメチャな占い師でゴザイマシテね。1941年(昭和16年)生まれってゆーから太平洋戦争の開戦とほぼ同時に生まれて、東京オリンピックの直前あたりに東洋大学第二文学部国文学科を卒業して、それから20数年にわたってバンドマン(ベース)をやってたんですけど、なんだか知らないけどある日突然、占い師になってたんですわね。
     その12年前の破天荒ぶりを如実に伝える動画がYouTubeにあったんで、ちょっとご紹介しておこうかしらと思いますわんこ。





     なんつったって、まもなく古希(70歳)ですからっ、最近は神妙になって健康のために禁煙に挑戦してみたりなんかもしてて、かつてほどのパワーはないかもしれませんけど、こーゆー人が東村山に住んでると思うだけで、なーんかチットだけ癒されませんかしらね。
     ハッキリ言って胡散臭いことにかけては超一流ですけどね、こーゆー人を東村山の人的資源と考えて地元のイベントやなんかに引っ張り出せるか、それともやっぱり国宝を有する歴史的文化都市にはソグワナイとか言って敬遠してしまうのかってあたりがね、本当は活性化のいちばんの分かれ目になるんじゃないかと思うんですのよねーっ。
     私は昔から、ゲイ・バーのない街には文化がないと断言していいんじゃないかと思ってますけど、それはさておき、ウカウカしてるとこっちが古希になっちまいますカラッ、そのためにはなーんかそろそろ始めといてもらわないとね、ホントはもう相当に切羽詰ってるんだってことをみんなで実感しとかないとね、結局ずっと何も変わんないまんまでいつまでも続くような気がして、そういう意味では雪洲さんっていうのはちょうどいい突破口だと思うんですのよねーっ。
     やっぱり1月26日の文化財保護デーに正福寺千体地蔵堂の前で降霊会っ!! もうコレしかいなんじゃないでしょうかしらね。今年は間に合わないかもしれないから来年ね。なんつったって「降霊降霊、♪これこ~れ、石の地蔵さぁん~」ですからねーっ。最後に消防団に一斉放水してもらって除霊すると。コレでキマリですわね。よかったよかった。
     ま、ホントはね、いつか「東村山ってスゴイ街だけど国宝まであるの!?」って驚かれるようになってもらいたいんですけどね。

    開運の父 雪洲


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