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    たまら・び001

     多摩地域の魅力を紹介することを目的として18年前に創刊された『多摩ら・び』。2年前から『たまら・び』と誌名をひらがなに変えてリニューアルいたしました。その第89号(2015年10月1日発売)の「まちの特集」は『東村山ノスタルジック』。今じゃ、おらがムラのどこの本屋さんに行っても平積みになって置いてあるんでありますよ。
     最初にお断り申し上げておりますが、アタクシ、1枚噛んでおります。ま、オトモダチのデザイナーさんのお声がかりで記事をデッチ上げさしていただいた慮外モノでありまして、会議や打ち合わせにはまったく顔出ししておりません。だから、どーこーゆーのも後出しジャンケンのようでちっとばっかし気が引けるんですけどね。アタクシの周りのみなさんの意見を聞いてみても、その評判がイマイチよろしくない。シトツ、なーんでカッ!!とゆーことをお粗末ながら考察してみたいと思うんでありましてね。

    たまら・び

     今号の表紙の写真は池田昌紀さん撮影の「くめがわ電車図書館」。これがなかなかイイんでございましてね。アンつっても、モデルが妙齢のご婦人お2人というのが東村山の現状を如実にあらわしております。つーのも、青葉バーバーズの例を持ち出すまでもなく、東村山のバァ、いやいや、シルバーレディのみなさまの実行力たるや尋常ではないのでありまして、東村山の進歩的なものの原動力はすべて女性が担っていると言っても決して過言ではございません。
     そこへいくってぇと東村山の男性陣はホントに駄目なんでありましてね。変に体裁ばっかり気にするもんだから、理想ばかり追っかけて地に足が着いていなかったり、屁の突っ張りにもならない会議を延々とやったりなんかしております。アタクシもその1人だと思うと本当に情けなくなってくるんですけどねーっ。

    たまら・び002

     んで、肝心の中身はどうかしらとページをめくって読んでみたんでございますけどね。ナーンカね、グッと来るものがないんですのよね。その印象を一言で申し上げれば、「東村山ってこんなにショボイ、ツマンナイ町だったのぉ!?」という感じィなんですのよね。アタシャね、東村山がスンバラシイ町だなんて微塵も思っていませんけどね。もうちょっとはわずかながらでも、未来につながる草莽崛起の息吹みたいなものが感じられる町だと思ってたんですけど、それがほとんど感じられないのでありますよ。
     もし、これが東村山地域限定の『むらな・び』とでもいった定期刊行物だったら、ただでさえ花形スターの乏しい東村山のコッてすから、情報を小出しにして出すのも致し方ないのかなぁと思いますけどね。『たまら・び』で東村山を特集していただけるのはせいぜい5年に1ぺんぐらいなんでございましょ。それにしてはアァタね、情報のサービサビリティがきちんと濃縮還元されてないんじゃござんせんかしらね。

    たまら・び003

     リニューアルされた『たまら・び』てぇのは、ヒトコトで言えば、従来からあったローカルマスコミの持つダサさを徹底的に排除して、いわゆるデザインの手法で素材をセンスアップすることで、シャレオツな多摩を再構築するバーチャルマガジンてなことになると思うんですけどね。どーも小手先で事務的にやってるような気配になってて、特に今回の東村山特集には求心力がほとんど感じられないのでありますよ。
     いやいや、コンセプトとしてはとってもよくワカルし、『たまら・び』のような雑誌はホントにホカにはないから、なくなっちゃたりしちゃあ困るんですけどね。でも、ナーンカね、レイアウトに懲りすぎて、足を靴に合わせているムリクリ感が漂ってるのも事実で、ただでさえ私の周囲の中高年からは、「デザインになんか凝らなくてもいいから字をもっと大きくしてチョーダイッ!!」という声もトミに挙がってるんでございましてね。そのへんがどーにも悩ましいのは事実なのでありましょうなァ。

    たまら・び004

     やっぱり今号の記事でいちばんアンだかなぁと思っちゃったのは、誠に遺憾ながらメーンの『迷子になりに行こう。7つの自然に出会う旅』でございました。なぜかリードはそうではないのだけれど、本文がとにかくカタい。カジッたら歯が欠ける石部金吉が焼いた堅焼き煎餅のようにカタい。よくまとまっているから教科書としてはすばらしいのですが、単なる形式的な説明文になっちゃっていて、お勉強熱心な東村山市民にとっては「そんなの知っとるワイッ!!」という情報ばかりで、想像力をちっとも刺激してくれないからリンダ困っちゃうんですのよね。
     個人的には、せっかく今年は映画『あん』が公開されたんだから、全生園だけをクローズアップして、「映画〈あん〉に学ぶ東村山の光と陰」にでもしとけばよかったんじゃないかと思うんでありましてね。だいたいね、今号の『知る自然 多磨全生園』の記事中で、「人権の森構想」や「ひいらぎとくぬぎ」にまったく触れていないのはどーしたもんでしょうかしらね。

    たまら・び005

     続いての記事は『こなものRailway』。こちらも企画としてはとっても面白いのでありますよ。でーもね、これもあくまで個人的な感想なんですけどね。リアルな細密画ならともかく、ナカイミナさんのイラストは味はあるけどホンワカしすぎていて、書き手が違うから紹介の仕方にも一貫性がございません。コナモノを1つずつ紹介する連載記事だったら問題なかったと思うんですけど、メリハリもなく19品目をズラズラーッと並べられちゃうってぇと、情報不足なもんだからだんだん頭の中が混乱してくるのでありますよ。やっぱり食い物のほうを写真にして、お店のほうをイラストにしとけばよかったんじゃないですかしらねーっ。
     『東村山親子の隠し味』は、オトモダチの美代子センセが紹介されていてうれしゅうございました。ただ、人生波瀾万丈の美代子センセ親子と違って、あとのお2組のご家族はちょっとだけパワー不足のような気もいたしました。

    たまら・び006

     以下、そのホカの記事については煩瑣になるので詳しくは省略するとして、ウウムね、やっぱり何か物足りなさを感じるのは事実でありましてね。『たまら・び』第89号は本屋さんに平積みにされているワケですけど、イキナリ表紙だけ見て買う人はあんまりいない。あっ、そーか、東村山特集号が出たのかと思って興味が湧いて、パラパラッとめくって読んでみてから、買おうか買うまいかを心の中で決めると思うんですけど、どーもね、「買ってみよう」と感じさせるような東村山の魅力が伝わってこない。
     ハッキリ言って、整合性にイマイチ欠けてるんでありましてね。1つ1つの記事が粒立ったアンサンブルを奏でていない、どこかチグハグな感じがいたします。そのあたりは、市民ライターを募集して共同編集するという手法が裏目に出ちゃったかもしれません。どういう切り口で、どこをクローズアップして、どう対比させてテーマを浮き彫りにするかというセオリーである作業が、どこかないがしろにされている気がするのでありますよ。ま、そのチクハグさこそ東村山の現状だと言われれば、グゥの音も出なかったりするんですけどね。

    たまら・び007

     今、アタクシの手許には去年の4月に出た『たまら・び』の国分寺市特集号がありましてね。両者を見比べてみるってぇと、特集部分のページ数はおんなじなのに、どーにもこーにも国分寺特集のほうが格段にオーラを発している。籠められているパワーみたいなものが明らかに違う気がするんでありましてね。
     東京ザットマン、じゃなくてぇ、ザッとひと通り読んでみて改めて思うのは、元来、東村山には未来を見据えた革新的なヴィジョン、とりわけ独創性のある視点から生まれたコンテンツがホントに少ないなぁということでありましてね。だいたい、東村山在住20ン年のアタクシが何かにつけて不満に思うのは、「ドボジテそんなところで満足しちまうんだいねっ!!」てなことなんでございますのヨッ。イベントにしてもナンにしても、ヤッたねっ、スゴイねっ、畏れ入谷の鬼子母神てなモンが、新しい文化を創造する風土のようなモノが極めて少ないっ。「イエイエ、しょせん東村山ですからっ」という逃げの姿勢がいつも見え隠れしている気がどうしてもいたします。

    たまら・び008

     何もアタクシはね、もっとゴージャスにしろとか、もっと芸術性を高めろとか、経済効率を追求しろとか言ってるのじゃござんせんのでしてね。その代わり、もうちょっと知的冒険の足跡がハッキリと見て取れるような、その土俵を東村山というムラだけに限定しない、単に東村山が好きだという情念を超えた、多くの人が能動的に共感できる未来を暗示するような、飛躍につながる触媒としての役割を担うようなことをやってほしいんでありますよ。
     ま、東村山はいろんなことをやるのに好条件が揃っている町では決してないから、せっかく苦労して立ち上げたものがパターン化しちゃうのもワッカラナクはないんですけどね。個々のものとしてはソレナリに魅力的でも、東村山総体としてはテンデンバラバラな印象がものすごくあるんでこざいましてね。特にイベントに関しては、ほぼ丸っきりお花見や盆踊りのような通過儀礼にすぎなくなっちゃっていて、東村山と関わりのない人々には見向きもされなくなってたりすることがあるんですのよね。

    たまら・び009

     いやいや、アタクシだってね、ここ数年の東村山が徐々に活況を呈しつつあることはヒシヒシと感じておるんでございますけどね。どーもアレなんでございましてね。20年先、30年先の東村山の未来像というものがサッパリ見えてこない。「人と人 人とみどりが響きあい 笑顔あふれる東村山」じゃオハナシにならないんでありますヨッ。東村山にだってすばらしいエナジーを持っている人はたくさんいるはずなんだけど、いっつも特定の一部の人たちだけが駆けずり回ってご苦労なさっている気がします。
     なかんずく陥りやすいのは、「東村山大好きっ!!」な人々だけにターゲットを絞り込んでしまうこと。結果的に東村山スキスキ同好会みたいなことになって、内部だけで盛り上がるだけ盛り上がって、外部の人たちにとってはほとんど魅力が感じられない代物が出来上がったりなんかいたします。特に町おこしや活性化を目的としているモノの場合、「いかに無関心層の関心を呼び覚ますか」「いかに市外の人たちにも魅力を感じてもらえるか」「いかに想像力を喚起させて東村山に対するイメージを上昇させるか」ということが第一義の最大目標であるはずなのに、いつの間にか本末転倒になっちゃってる場合もあるんでございましてね。

    たまら・び010

     東村山にも新しいことに果敢に挑戦している人たちがいます。でも、実際には、一部の例外を除けば、いつしか迷路に迷い込んで中途半端なままに開店休業状態に陥るか、新たなベクトルを見出せないままに偉大なるマンネリ道を歩むか、そのいずれかである場合がヒッジョーに多い。いくらオカルト好きのアタクシでも、それが八国山の合戦で討ち死にした鎌倉幕府軍の武将のたたりだとは申しませんけど、どーにも呪いだとしか思えないほどに蔓延している傾向が東村山にはあるんでございましてね。
     それはひとことで言えば、「やったもん勝ち症候群」とでも申しましょうか、既成事実だけを評価してプラスαを追求しない、未来指向ではない閉じられた泥縄的アナクロニズムです。人間というものは、いったん目標が達成されれば満足して新たなステップに進むはずです。ところが、明確なコンセプトがないと、何をやっても達成感がないからだんだん不安になって自己肯定感も失われて、余計に新しいことに手を出さなくなって、永遠に同じレベルの空疎な堂々巡りを繰り返すようになります。ま、要するにカラ回りなんでございましてね。

    たまら・び012

     確かに「東村山大好きっ!!」というのはすばらしいパワーです。でも、そのパワーを結集して何か新しいことをやろうというベクトルだけでは、その総量としてのエンジン出力は確実に落ちます。人間が100人集まれば確かに100人分の熱量はありますけど、人間のパッションというガソリンは残念ながら品質が一定ではないからです。出力を効率的に上げるための方法はたった1つしかありません。それは人と人とのつながりを飛躍的に拡大させてシナジーを生むことです。
     何をどう表現すればどう伝わるのか、何をすれば注目してもらえるのか、何が本当に町おこしや地域活性化に直結するのかということを、徹底的に検証していかなければ物事は進歩しないのでありましてね。ところが、過去を振り返って未来を見据えるフィードバック機能が東村山ではほとんど作動していない。「このまんまじゃ東村山は恥ずかしいよ」という現実を改めて見直すところからしか東村山の未来は始まらないんじゃないかと、アタクシなんかはつーくづく感じるんでございますけどね。

    たまら・び013

     これもアタクシの独断と偏見ですけれども、志村けんという人は東村山という町が大嫌いだったんじゃないかと思います。東村山という何も誇るものがない無名の辺境の町で、戦前からの教育者である父親が支配する厳格な一家に生まれ、家の中はいつも重苦しい雰囲気で、テレビのお笑い番組を観ることだけが唯一の楽しみだったといいます。本名の「康徳(やすのり)」は、お父さんが尊敬する徳川家康の名前から2字とって付けた名前なんだそうで、その事実を聞いただけで気が滅入ってくるような気がいたします。
     ザ・ドリフターズで付き人としての修業を重ね、荒井注の脱退でやっと正式メンバーになったものの、ほぼ2年間は先輩たちに囲まれての針のムシロ状態。それが、『8時だョ!全員集合』の少年少女合唱団で歌った東村山音頭で予想外の大ブレイク。スランプ状態から脱出できたキッカケが、脱出してきた故郷のご当地ソングだったのは皮肉な話ですけど、そのことで志村けんは生まれて初めて東村山の呪縛から解放されたのではないかと、そんなフーに思うんでありましてね。

    たまら・び014

     安倍ソーリは、『一億総活躍社会』とゆーミョーなことを言い出しております。その流れで、ムラでも『東村山市創世総合戦略検討協議会』つーのが発足しておりますけど、公開されている会議録や資料を見る限り、ちょっと頭を抱えちゃったりするんでございますけどぉ。それはさておき、安倍ソーリの伝でいくってぇと、東村山の場合は『十五万総活躍社会』とゆーことになるんでございますけどね。アタクシ、コレ、目指してもいいと思うんでありましてね。一億はドダイ無理でも、十五万だったらひょっとしたらとか思いますものね。
     たァだァしィ、今までとおんなじようなことをやっても焼け石に水ですわよね。そりゃあね、龍の髭を撫でたり、虎の尾を踏んだり、火中の栗を拾ったり、猫に鈴を付けたり、ルビコン川を渡ったり、バージョンアップしたり、都政を身近にしたり、イロイロやんなきゃならなくなるとは思いますけどね。でも、やっぱり、単発花火がたまーにポンポン上がってるだけの現状ではムリですわよね。千葉ネズミーワールドのアトラクションだって、たった1つしかなかったらほとんど誰も行かないけど、68もあるからシナジーが生まれるんでございましてね。

    たまら・び015

     さて、話は『たまら・び』に戻ります。雑誌というものの本義は「驚かす」ことだとアタクシは思っておりましてね。ま、心臓麻痺になっちゃうほど驚かすこたぁありませんけど、読者の脳細胞をツンツン刺激して、想像力を喚起させて思考をソフィスティケートする。やっぱソコには新しい視点がなけりゃあきまへん。でも、残念ながら今回の東村山特集号には、アタクシのポンコツ脳細胞をツンツンする記事がほとんどありませんでした。ものすごく意地悪な見方をすれば、「しょせん、東村山の現状なんてこんなもんだろっ」と言われているような気がして涙を流した夜もございました。
     んー、何年後になるかはわかりませんけど、もしまた東村山を特集していただけるようなことがありましたらね、今度はちょっとばっかし嘘が混じっちゃってもいいから、「東村山、エライっ!!」「東村山、スゴイッ!!」と他市の奴等をクリビツ仰天させるような記事にしていただけませんかしらね。そーでないと棺桶に片足突っ込んでるアタシらは、死んでも死にきれないんだっつーのっ。

    たまら・び016



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    散歩の達人2011年1月号「所沢・東村山」

     んでもって、所沢とカップリングしないと企画会議を通らなかったところが寂しかったりもするんですけど、あえて多摩湖や北山公園の写真なんかを表紙にしないところがオシャレですし、「空と森とうどんの町」ってコピーはちょっとイイですわね。だいたい1,000円以上の本だと中身を見てから買いますけど、なんつったって東村山市一般廃棄物指定収集袋燃えるごみ用&燃やせないごみ用の各1セット720円よりもお安い580円ですものね。
     「散歩の達人」は交通新聞社が刊行している1996年創刊の首都圏エリア限定月刊誌で、発行部数は8万部。この手の雑誌にはありがちな外部発注はせず、自社の5人の編集スタッフで毎号丹念に作っています。年齢・性別を問わない根強いファンに支えられていて、同じカテゴリーの他誌に比べると広告もとっても少ないし、文科系クラスの優等生といった感じの1冊です。ま、おそらく、2~3万部はテーマ設定した地域周辺の人たちが私も含めてついつい買っちゃうんでしょうね。
     で、読んでみたんですけどね。んー、ヒトコトで言えばイイトコドリ? パクリ情報満載? クレーム回避? ダサさ隠蔽? 粉飾決算?って感じなんですのよねーっ。読者の行ってみたいゴコロを誘発させるお散歩カタログつーことになると本当によくできてますけど、「豊かな森に醸成されたナチュラルタウン」なんて紹介されているこの本を片手に東村山を散策して、八国山や北山公園の近辺だけ歩いて「アーラ気に入ったわ。今度引っ越してこようかしら」なんていう人がもし目の前に立っていたら、思わず「ちょっと!!ちょっとちょっと!!待ちなさいったらっ!!人生まだまだやり直しは利くんだからっ!!」と言いそうな私がソコにいるんですのよね。
     いえ、別に私は東村山が嫌いだとか憎いとか殺してやりたいとかいうのではなくてですね、そういう好感度イメージだけで東村山に引っ越してくると大変な目に遭いますよと。人に自慢できるのはいちおう国宝があるってことぐらいで、ごみ袋は有料だし汚れた容器包装プラスチックごみはいちいち洗って出さなきゃならないし、そうかといって公園にはゴミ箱もドッグランもないし、そもそも市民税は払っても還元されてる気がほとんどしないし、オマケに道路は狭いし店もイベントも少ないし貧乏財政だし、そんな剣呑なところに越してきてあなたはホントにそれでいーのかよーくお考えなさいましねと。
     それはともかく、地元のことが載ってる本をついつい買っちゃうって心理っていうのはいったいなんなんでしょうかしらね。なーんかね、ツナガリを持っていたいっていう帰巣本能みたいなもんだと思うんですけど、やっぱり商業ベースに乗っかっているものをただ受け入れていることにはどこかしら違和感があって、本当は自分たちで生み出さなければならないもののレプリカのような気がしてきて、非達成感みたいなものがいつのまにかジュクジュクと溜まってくるんですのよねーっ。
     たぶん、この本を買った東村山市民の方がたくさんいらっしゃるんだと思いますけど、「んー、なかなかよくできてるわよねーっ」と本棚に飾って満足しちゃうだけじゃなくて、この本の内容のイメージと現実の東村山とのギャップを1つ1つ検証していくってぇと、これから何をすればいいのかってコトが少しずつ見えてきたりなんかはしないでしょーカッ。実際にこの本を買っちゃった人っていうのは、それだけでほぼ民間活力の有望な提供者なんじゃないかしらと思ったりなんかする今日この頃なんですのよね。ま、肝心カナメの東村山市役所が、民間活力を利用することにかけてはド素人というよりアカチャンホンポ状態なんですケドッ。
     “散歩の達人”なんていやしないんですけどね、だからこそ、このネーミングは見事に個性的ですよね。でも、よく考えると「空と森とうどんの町」っていうのは一歩間違うとなーんか哀しいですわよね。なんにもない空疎な町だってことが見透かされちゃったとゆーか、田舎と都会が混在している部分にしか魅力がないみたいなね。
     10年後ぐらいあとの「散歩の達人」は東村山単独特集で、しかもホカの町には絶対真似できないキャッチコピーが付いてたりしたらうれしいんですけどね。たぶん、それが実現するんだとしたら、現段階では誰も考え付かないような盲点が出発点になるような気がします。個人的にはやっぱり“土下座タウン東村山”しかないような気がするんですけどねーっ。


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